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マダガスカルみどころガイド

アンタナナリボとその周辺

Antananarivo and Its Surroundings

中央高地の丘陵地帯に位置するマガダスカルの首都アンタナナリボは、標高約1,300メートルにあり、年間を通じて比較的過ごしやすい気候が特徴です。町の中心部は、石畳の坂道や高台に広がる住宅街など、起伏に富んだ地形に沿って形成されており、郊外には段々畑や水田、小さな農村が点在しています。

市の北東約20kmに位置する世界遺産「アンブヒマンガの丘」には、19世紀に栄えたメリナ王国(マダガスカル王国)の王宮跡が残されており、現在も聖地として地元の人々の信仰を集めています。

 

 

アンタナナリボ/ Antananarivo

マダガスカルの首都アンタナナリボは、標高約1,300メートルの中央高地に位置する都市で、国内最大の人口を擁し、政治・経済・文化の中心地となっています。その名は「千の町」を意味し、「Tana(タナ)」の略称でも呼ばれます。「千」は正確な数ではなく、多くの人々が集う場所を象徴的に表す表現です。

1794年に当時の首都であったアンブヒマンガから遷都され、ここアンタナナリボが正式に王都となりました。19世紀末、マダガスカルがフランスの植民地となった後も、アンタナナリボは行政の中心地として整備され、現在に至るまで首都機能を担い続けています。都市は起伏のある丘陵地に沿って形成されており、石畳の坂道や高台の住宅街、谷間の市場など、地形に沿った独特の街並みが広がっています。

起伏のある丘陵地に造られたアンタナナリボ
石畳が続く街並み

アンブヒマンガの丘/ Royal Hill of Ambohimanga

標高約1,500メートルの高台に静かに佇むアンブヒマンガは、メリナ王国がマダガスカル統一を果たした歴史的な地であり、マダガスカルで唯一、ユネスコの世界文化遺産に登録されています。1788年、メリナ族の王アンデアマシナヴァルナが「聖なる12の山」の一つであるこの丘に王宮を築いたことが、アンブヒマンガの歴史の始まりとされています。“アンブヒマンガ”はマダガスカル語で「青く美しい丘」を意味し、王族発祥の地であると同時に、人々の信仰を集める聖地として、今日まで大切に守られてきました。アンデアマシナヴァルナ王の死後、王国は後継者争いにより一時分裂しますが、やがてアンドリアンツイニメリナ王の子孫が再び王国を統一。1794年、首都はアンブヒマンガからアンタナナリボへ遷されましたが、アンブヒマンガには王族の別邸と要塞が置かれ、その後も王族の拠点として重んじられました。1870年には、フランス人技師ジャン・ラボルドの指導のもと、ラナヴァルナ1世女王のための宮殿が城塞内に建設されました。現在の建物は復元されたものですが、内部には当時のヨーロッパ調の家具が展示されており、王国時代の暮らしぶりを偲ぶことができます。

丘全体は、全長約2.5キロメートルにわたる二重の石壁で囲まれており、王宮へと至る7つの門は占星術に基づいて配置されています。城壁には、生命と再生の象徴とされる卵白を用いた特別なセメントが用いられ、その量は約1,600万個分にも及ぶと推定されています。当時、庶民は卵の消費を禁じられており、これらは税として納められたものとも言われています。これらの建築技法には、神聖な場に永続性と霊力を宿らせようとする宗教的な世界観と、王権の威厳を象徴する文化的価値観が色濃く表れています。

【メリナ族】

メリナ族は、1世紀ごろにインドネシア方面からインド洋を渡ってきたマレー・ポリネシア系民族の子孫とされ、稲作をはじめとする農耕文化をマダガスカルにもたらしたと言われています。食用になる動植物が乏しいこの地において、水田稲作の技術を備えていたメリナ族は、他の独立勢力に対して優位に立つことができたと考えられます。現在でも国民の約4分の1を占めており、アンタナナリボを中心とする中央高地に多く暮らしています。

城壁に囲まれたアンボヒマンガ
宮殿から眺めるマダガスカル中央高地の風景
復元された女王の宮殿
中庭の聖樹
メリナ様式の木造建築で造られた歴代の王の墓所
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