ツアーのポイント

ポイント 今とは随分違う! 明治維新以前のお伊勢参りと熊野詣の実態に迫る旅

今回のツアーは、通り一遍の「お伊勢参り」と「熊野詣」ではありません。明治維新の神仏分離令で激変する前の「本来」の伊勢・熊野信仰の実態に迫ろうという特別企画です。往時の伊勢・熊野信仰の様子を一つ一つ実際に見聞して、旅の最後には、伊弉冊尊の御葬所である花窟神社の春季大祭と熊野那智大社と青岸渡寺での節分の豆まき、そして、青岸渡寺で年に3回しかないご本尊開帳に立ち合います。またとない機会です。どうぞ奮ってご参加ください! 

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世界遺産

紀伊山地の霊場と参詣道

PROFILE 金子貴一氏プロフィール

1962年、栃木県生まれ。栃木県立宇都宮高校在学中、交換留学生としてアメリカ・アイダホ州に1年間留学。大学時代はエジプトの首都カイロに7年間在住し、1988年、カイロ・アメリカン大学文化人類学科卒。在学中よりテレビ朝日カイロ支局員を経てフリージャーナリスト・西遊旅行添乗員として活躍。中国や中東、仏教などへの造詣も深く、雑誌や新聞などへの執筆も多数行っている。特に、日本の歴史と宗教に関しては、4年間に亘り、東京新聞に連載記事を執筆。

COLUMN 熊野信仰の歴史

熊野三山は、原始時代の自然信仰(那智大滝、新宮・神倉山など)が起源とされ、神倉山からは弥生時代中期(紀元前1世紀~紀元後1世紀頃)に奉納物と見られる銅鐸の破片が発見されています。6世紀に仏教が伝来すると早くから神仏習合が進み、修験道の一大聖地となりました。平安時代の907年から約4世紀にわたっては、浄土に生まれ変わることを願った歴代の上皇・法皇や女院が、およそ百回の熊野御幸を繰り返しました。熊野の名は全国に広まり、「蟻の熊野詣」と言われるほど身分を問わず大勢の人が巡礼に訪れ、室町時代中期には最盛期を迎えます。しかし、戦国時代に入ると熊野詣は下火になり、入れ替わる様に盛んになったのが、お伊勢参りです。

熊野本宮大社
熊野本宮の旧社地・大斎原

COLUMN 伊勢信仰の歴史

伊勢神宮は、5〜6世紀頃の鎮座以来、天皇以外の私的な祈りが禁じられていましたが、中世になると将軍や僧侶をはじめ様々な人々が参詣する様になり、江戸時代になると約60年毎にお蔭参りと称する庶民の大量群参(参詣者数が最多の年は約430万人!)、そして、幕末には狂乱的民衆運動「ええじゃないか」が発生します。

宇治橋新鳥居
外宮 神楽殿

COLUMN 驚愕!神仏分離前後で大きく異なる熊野詣とお伊勢参り

日本史の教科書に登場する熊野詣やお伊勢参りは、現在の姿とは全く異なったものでした。

熊野三山には本地仏(神々の本体)の仏像も祀られており、熊野詣は、山伏の先達に引率されて、精進潔斎、祓(はらえ)や、海辺や川辺での水垢離、王子社での奉幣などの儀礼を行う厳しい修行でもありました。鎌倉時代の一遍上人は、熊野本宮大社に山籠して熊野権現の神勅を得て、「南無阿弥陀仏」の念仏を広める仏教宗派、時宗を開宗しました。不思議に思われるかも知れませんが、神仏習合時代、熊野本宮大社に祀られた家津御子大神の本地仏(神の本体となる仏)は阿弥陀如来だったのです。

一方、伊勢信仰では、内宮に鎮座する天照大神は、平安から室町時代にかけては男神であると信じられており、斎王(飛鳥から南北朝時代までの660年に亘り、天皇に代わって伊勢神宮の天照大神に仕える為に、天皇の即位毎に選ばれて斎宮で暮らした未婚の内親王)は天照大神の妻として神格化されました。現在の様に、天照大神が長髪に白衣姿の女神のイメージに統一されたのは、たかが百年ほど前のことに過ぎません。

江戸時代までは、雨宝童子という男子姿の仏像が天照大神の姿としては一般的でした。雨宝童子とは、伊勢で修行中の弘法大師空海が透視して彫ったと伝承される、日向に下生された天照大神16歳の姿で大日如来の化身です。江戸時代のお伊勢参りの際にこの雨宝童子像を故郷に持ち帰り、神明神社(内宮を総本社として天照大神を祀る神社)に祀った例も多いのです。

農民や庶民も多かったお伊勢参りで、現地で迎えてくれた「御師」は真言宗醍醐派の修験者が多く、自己の宿坊で風呂に入れてくれ、夕食は鯛にアワビに灘の生一本などの二の膳、三の膳がつき、絹の布団で休ませるという豪勢なもので、祈祷や神宮の案内も行いました。

天照大神が祀られている内宮 正宮
内宮 第二鳥居

COLUMN 伊勢神宮での神仏習合:神仏分離に反対したのは神官達だった!?

伊勢神宮における神仏習合は早くから行われ、「続日本紀」によると、「698年、多気大神宮寺を度会郡に遷座す」「766年、使い遣して丈六仏像を伊勢大神宮寺に造らしむ」などとあり、伊勢神宮にも神宮寺があり仏像が祀られ読経が行われていた事が分かります。天照大神の本地仏は、観音菩薩か大日如来とされました。後者の場合、内宮を胎蔵界大日如来、外宮を金剛界大日如来として礼拝していました。多数あった神宮寺には神官家の氏寺もあり、神官祠官の中からの出家者は跡を断たず、神官の葬儀は仏式で行われました。

内宮の奥の院とされた朝熊岳金剛證寺は、古来、「お伊勢参らば朝熊かけよ、朝熊かけねば片参り」と言われた聖地です。隣接する国史跡・朝熊山経塚(12世紀)からは、伊勢神宮の神官たちが極楽往生を願って奉納した経典を詰めた経筒が多数出土しています。

神宮は、東大寺や奈良仏教の諸寺院とは深い関わりがありました。伝承では、奈良の東大寺創建の際、伊勢神宮に祈願したところ聖武天皇の前に玉姫が現れて、「日輪すなわち天照大神は大日如来であり、本地は盧舎那仏(奈良大仏、大日如来)である」と告げ、勧進聖を務めた行基が、東大寺と大仏建立の無事完成を祈請するため伊勢神宮に参詣した際には、天照大神から「聖武天皇の大仏殿建立は皇大神宮(伊勢神宮)を崇敬するに等しい」との託宣があったと言います。かくして行基は神々の助力を得、奥州、伊勢、信濃にそれぞれ大仏の材となる砂金、水銀、赤胴を求めることができたのだと。以後、東大寺や奈良大仏の大規模修復の毎に、東大寺の僧団が伊勢神宮に参詣して工事の無事を祈願しました。更に、鎌倉時代には、南都(奈良)の僧たちの参詣も盛んになっていきます。

しかし、江戸時代(1671年)になると、幕府が伊勢神宮から仏教色を排除する様に要請しました。それに反対したのは、他でもない伊勢神宮の神官達でした。「私たちの死後(極楽往生)はどうなるのだ」と。しかし、表面上は幕府の意向に従うしかありませんでした。伊勢神宮における一連の神仏分離の流れに終止符を打ったのは明治維新の神仏分離令でした。発令直後から伊勢神宮の鳥居前町である宇治(内宮)・山田(外宮)では廃仏毀釈の嵐が吹き荒れ、仏教色をまとう地名・社名の改称、僧侶の還俗、廃寺(宇治・山田の161か寺中、146か寺が廃寺に追い込まれた)が相次ぎました。その中で明治2年に廃寺となった伊勢菩提山神宮寺(奈良時代建立の伊勢大神宮寺の後身)から、廃棄処分寸前の本尊を初めとする仏像60余体を救い出して来て安置した寺院が愛知県に現存します。

出発日と料金

2021年 
出発日~帰着日
日数 旅行代金 催行状況
01月29日(金) ~
02月03日(水)
6日間 258,000円
発着地

現地発着(名古屋市内ホテル集合・JR紀伊勝浦解散)

最少催行人員 7名(12名様限定)添乗員同行
一人部屋追加代金 10,000円(名古屋市泊のみ)
  • 全行程添乗員として金子貴一氏が同行いたします。
  • 国内旅行のため、再利用割引・特別割引はありません。
  • 当ツアーは出発前の最終旅行説明会を開催いたしません。ご質問はお気軽に担当までお問い合わせください。

 

ツアー日程表

地名 時刻 スケジュール
1

名古屋市

 

各自で日本各地から国内線もしくは鉄道にて、名古屋駅近くのホテルまでお越しください。夜までに、ホテルに到着、受付。
※夕食は含まれておりませんので各自でお召し上がりください。
名古屋市:名古屋グランドホテル泊| 食事:朝× 昼× 夜×
2

名古屋市
知多市
碧南市
津市
伊賀市
松阪市
伊勢市


09:00発

 

 

18:00着

朝、伊勢周辺の宗教集団の1つ、国重要無形民俗文化財尾張万歳を鑑賞します。その後、伊勢神宮の神宮寺旧本尊(国重文)が安置される海徳寺へ。中部国際空港へ移動し、高速船にて津なぎさまちへと移動します。午後は、伊勢神宮と仏教との関係の深さが分かる新大仏寺にて宝物特別拝観。また、伊勢神宮との繋がりが強い国学者本居宣長記念館を見学。夕食は、特産・伊勢海老懐石をご賞味ください。日没後、晴れていれば、希望者は夫婦岩の間に月(満月の翌日)を拝む事が出来ます。
※昼食は含まれておりませんので、予めご準備の上、各自お召しあがりください。

伊勢市:海鮮割烹の宿 海洋楼 泊泊| 食事:朝〇 昼× 夜〇
3

伊勢市
(明和町)


09:00発

早朝、晴れていれば希望者は夫婦岩朝日鑑賞。朝食後、古来の神宮参拝順序に従い、まず二見興玉神社にて浜参宮・無垢塩祓を受けます。江戸時代に、神宮に対して「仏教色を排除せよ」と要請した山田奉行所跡山田奉行記念館を訪問。その後、日本遺産・斎宮を訪問します(斎宮跡隆子女王の墓斎宮歴史博物館竹神社等)。昼食は、平安時代の「斎王の食事」を復元した斎王弁当をご用意しております。昼食後は、地元ガイドと共に豊受大御神を祀る伊勢神宮外宮参拝。豊受大御神は、天照大御神の食事を司り、衣食住の守り神とされています。夕方は、神宮内宮へのお伊勢参りで栄えたおかげ横丁の散策をお楽しみください。

伊勢市:伊勢神宮の「宿坊」神宮会館泊|
食事:朝〇 昼〇 夜〇
4

伊勢市
尾鷲市

06:30発
18:00着

早朝、天照大御神を祀る伊勢神宮内宮の参拝。神々しい朝の内宮を神宮会館の職員による解説付きでご案内いたします。朝食後、伊勢市内の観光(神宮の神宝などが展示される神宮微古館月読宮倭姫宮、神宮の神々にお経を捧げた世義寺)。また、伊勢市郊外に建ち神宮の奥の院と呼ばれた金剛證寺諸堂国史跡・朝熊山経塚群)もじっくりと訪問します。熊野街道を走り、尾鷲市へ。夕食は、この時期旬となる天然クエ料理をご賞味ください。
※この日の昼食はお弁当となります。

尾鷲市:尾鷲シーサイドビューホテル泊|
食事:朝〇 昼〇 夜〇
5

尾鷲市
熊野市
新宮市
田辺市
那智勝浦町

07:30発

18:00着

終日、世界遺産「熊野古道」を見学します。専用バスにて熊野市へ行き、石畳が綺麗に残る松本峠を歩きます(峠と東屋までの往復・約1時間)。その後、伊弉冊尊が葬られたとされる「日本最古の神社」花の窟神社にて例大祭を見学。日本一長い砂礫海岸で熊野古道伊勢路の一部である七里御浜海岸沿いを走り新宮市へ。着後、熊野三山の一つ熊野速玉大社を参拝。午後は、新宮市の見学(世界遺産に追加登録された阿須賀神社並びに境内の徐福の宮と国宝重文の宝庫歴史民俗資料館、熊野三山の旧本地仏が祀られる東仙寺)。その後、熊野三山の一つ熊野本宮大社旧社地大斎原を訪問します。ホテルにて、熊野曼荼羅の絵解きをお楽しみ頂くと共に、温泉で身体を癒します。夕食は、自然豊かな熊野地方ならではの旬の素材を使用した会席料理をご用意しております。

勝浦町:勝浦温泉 かつうら御苑泊|食事:朝〇 昼〇 夜〇
6

那智勝浦町
紀伊勝浦駅

07:30発
15:00着

終日、世界遺産「熊野古道」を見学します。語り部と共に、熊野三山の熊野那智大社那智山青岸渡寺を参拝します。那智大社では、この日節分祭鬼追い追儺式、青岸渡寺では節分の豆まきと年に3度しかない御本尊開帳が行われます。毎年の春を先駆けて行われる、風物詩・行事である節分祭をお楽しみ下さい。その後、高さ・水量ともに日本一の那智の滝飛瀧神社もご覧いただきます。昼食は那智勝浦のマグロ料理をご賞味下さい。その後、補陀落渡海の出発点として有名な補陀落山寺にて特別御開帳を見学。JR紀伊勝浦駅まで送迎、解散。

食事:朝〇 昼〇 夜×
  • 運輸機関のスケジュールの変更、遅延、運行の中止や道路状況などにより、宿泊地や訪問地の順序が変わったり、日程内容に変更が起こることがあります。
  • 食事回数:朝5/昼4/夜4

ご案内とご注意

気候・服装 1月末から2月上旬の最高気温は10℃前後、最低気温は2℃前後です。ダウンジャケット、フリースなどしっかりとした防寒着をご準備ください。また雨具もご用意下さい。観光時は歩きなれた運動靴が便利です。
利用予定ホテル 日程をご覧ください。
観光・見学地について 各地の節分祭、寺院の参拝、見学については、新型コロナウイルスならびにその他の状況に左右されますので場合によってはご案内できないこともございます。予めご了承下さい。
宿泊について 初日の名古屋市以外の宿泊については、基本的には2-3名様1室でご利用いただくことになります。最終的なご参加の人数や空室状況によってはお一人部屋が確保できることもありますので、その場合は有料にてお申込み順でご案内致します。
旅行条件について 詳しい取引条件を説明した書面をお渡ししますので、事前に確認の上お申し込みください。
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