ツアーのポイント

ポイント紀伊半島から伊良湖岬にかけて残る14基の灯台をめぐる

「条約灯台」である友ヶ島灯台・潮岬灯台・樫野埼灯台をはじめ、現存する日本最古のレンガ造りの「保存灯台」菅島灯台、この海域にかかせない灯台のある岬や島々を紀伊半島から志摩半島、伊勢湾、伊良湖岬へと巡ります。

ポイント灯台に近い宿を利用して、灯光を間近に見る

夜、光を発した灯台の真の姿を見るために、可能な限り、灯台に近い場所にある宿を利用します。潮岬、大王崎では宿から灯光が見えます。日没直後や夜明け前に灯光を望むことができるよう宿泊先、滞在時間を考慮した日程になっています。

ポイント海の幸に舌鼓

灯台巡りは、素朴な海辺の町を訪ね歩くため、海の幸を楽しむ機会に恵まれます。 10月からは伊勢海老漁も解禁されます。新鮮な海の幸を存分にお楽しみください。

大王埼灯台
梅酢エキスで育てた串本名産「紀州梅まだい」

COLUMN 日本の歴史的灯台

日本における海の道しるべとしての灯台の歴史は、今から約1,200年前、遣唐使の一行が帰国する際、九州の太宰府および沿岸の岬や島では昼は狼煙をあげ、 夜は防人が焚いていた篝火(かがり火)を船の航行の指標したのが始まりと言われています。 近代日本(明治時代1,868年~1,912年)に建造され、現役で機能している灯台は全国で64基あります。これらの灯台は、歴史的・文化財的価値を有し、あるいは地域のシンボルとして定着し文化資産的な灯台も数多くあります。海上保安庁では64基全ての灯台に有識者から構成する委員会を設置して価値の評価を加えています。 永い歴史故に保有耐力が危惧される灯台は、委員会の評価を基に適切な保全に努めています。

麦埼灯台
潮岬灯台の螺旋階段
大王埼灯台資料展示室にある「第4等閃光レンズ」
潮岬灯台 初点は1873年9月15日
潮岬灯台 第二等不動レンズ

COLUMN 日本灯台の父 リチャード・ヘンリー・ブラントン Richard Henry Brunton

1841年12月26日生。スコットランド・アバディーン出身。明治政府によって最初に雇用された外国人。1868年(明治2年8月)に灯台建設主任技術者として雇われ、明治初期の灯台建設を指揮した。横浜弁天にあった燈明台掛(のち燈明台局)にて勤務し、樫野埼燈台(紀伊大島東端)・神子元島燈台(下田沖)・江埼燈台(淡路島北端)・伊王島燈台(長崎港口)・佐多岬燈台(鹿児島大隅半島南端)・六連島燈台(下関海峡西口)・犬吠埼燈台(房総半島東端)など30個所の燈台を建設し、また燈台建設の人員養成にも尽力しました。このため「日本の灯台の父」と讃えられています。彼の手記には、燈台補給船による測量の様子や、明治政府との折衝の状況などが詳細に記録されています。

樫野埼灯台 エルトゥールル号の遭難海域を望む
鯨の方位計を持つ梶取埼灯台
菅島灯台 日が沈むとまもなく灯りがともる
菅島灯台 旧官舎に使用されていたレンガ

COLUMN ダーク・シーを照らした「条約灯台」を巡る

幕末の日本の海は、諸外国が恐れる危険な暗い海「ダーク・シー」といわれるほど灯台の少ない国でした。1866(慶応2)年、江戸幕府が列国と結んだ「改税約書」(通称「江戸条約」)の中で、8基の西洋式灯台と2隻の灯船(灯台の設備を備えた船)の設置を求め、翌年には「大坂条約」が結ばれ、さらに5基の灯台の設置を求められました。この13基の灯台は「条約灯台」とも呼ばれています。その後、明治、大正と徐々に灯台の数が増え、昭和に入ると日本全国の港や岬で灯台が必要とされ、急増しました。

神島灯台の入口
神島灯台
安乗埼灯台
安乗埼灯台資料館 かつて使用されていた「第4等閃光レンズ」と水銀槽式回転機械
安乗埼灯台「LU-M型灯器」

COLUMN 【企画者の声】灯台の真の姿を見る

灯台といえば「青い海、青い空に白亜の灯台」というイメージではないでしょうか。それは灯台が眠っている時です。日没後、薄暗くなると灯光が海を照らしはじめます。そして翌朝、空が白みはじめると光は消えて眠りにつきます。灯台は時代を追って変化してきました。自動化が進められ、いつしか灯台守はいなくなり、巡回で保守を行う体制が整っています。現在はGPSの普及で灯台は不要という意見すら聞かれるようになりました。岬や港の風景の一部としての位置付けではなく、海の安全を守ってきた、その歴史的価値に着目した「灯台」にスポットライトをあてた企画です。明治期に造られた条約灯台、保存灯台を中心に、内部参観ができる灯台、日本の灯台50選も含めて、全国に点在する灯台を何回かに分けて巡るシリーズです。灯台の位置する半島、岬、島々を巡り、時には船をチャーターして灯台への上陸を試みます。灯台の真の姿をお見せしたいと思います。

潮岬灯台 太陽に代わって海を照らす
菅島灯台を望む
『潮騒』の舞台 神島の監的哨跡
橋杭岩
日御碕灯台

出発日と料金

2021~2022年 
出発日~帰着日
日数 旅行代金 催行状況
10月31日(日) ~
11月06日(土)
7日間 268,000円
02月27日(日) ~
03月05日(土)追加設定・若井崇嗣(大阪支社)同行
7日間 268,000円
発着地 現地発着(和歌山駅集合/鳥羽駅解散)
最少催行人員 5名(7名様限定)・添乗員同行
一人部屋追加代金 10,000円(潮岬、大王崎、菅島、神島泊除く)
  • 国内旅行のため、再利用割引・特別割引はありません。
  • 当ツアーは出発前の最終旅行説明会を開催いたしません。ご質問等はお気軽に担当までお問い合わせください。
  • 現地集合解散となります。現地までの交通機関はご自身でお手配ください。

コース難易度

体力 歩くことが好きな方ならどなたでもご参加いただけます。
宿泊 全行程、ホテル、旅館または民宿泊 ※相部屋になる場合があります。
荷物 移動中や宿での荷物は各自でお持ち運びいただきます。小型のキャリーケースやザック等コンパクトなカバンでご参加ください。灯台見学の際は必要な荷物だけお持ちいただき、不要な荷物は宿や車に置いておくことができます。


ツアー日程表

地名 時刻 スケジュール
1 JR和歌山駅
南海和歌山市駅
加太駅
加太港 
友ヶ島
加太港
加太

09:30発




16:50発
17:00着

JR和歌山駅に集合(09:30)。電車にて和歌山市、加太へ。宿の送迎車にて加太港へ。加太港から定期船にて友ヶ島(沖ノ島)へ。着後、友ヶ島の見学。 幕末、大坂湾を防御するために近代的な砲台を建築し、その痕跡は今も島の至るところに残る要塞の島を散策します。大坂条約で建設を約束した5灯台のうちの1基、「友ヶ島灯台」を訪れます。一等三角点のあるコウノ巣山からは紀淡海峡を見おろし、はるか四国・六甲・和泉葛城方面の山々も望めます。定期船にて加太に戻ります。送迎車にて友ヶ島を望むホテルへ。

加太:休暇村加太又はひいなの湯泊|食事:朝× 昼× 夜○
2 加太
雑賀埼灯台
御坊
紀伊日ノ御埼灯台
大島
(樫野埼灯台)
潮岬

08:00発

 





18:00着

専用車にて『万葉歌』にも詠まれた雑賀の浦にある雑賀埼灯台へ。淡路島を望みます。その後、御坊へ。紀伊半島最西端の「紀伊日ノ御埼灯台」へ。紀伊水道の向こうには徳島・蒲生田岬、伊島を望みます。さらに紀伊半島を南下、本州最南端の潮岬へ。夕方、くしもと大橋を渡り、大島へ。日本最古の石造りの灯台、「樫野埼灯台」へ。灯台、灯台旧官舎(資料館)を見学します。日没後、灯台の点灯を待ちます。灯光を見学後、専用車にて潮岬にある本州最南端の宿へ。

潮岬:みさきロッジ泊|食事:朝○ 昼× 夜○
3

潮岬
潮岬灯台
大島
(遊漁船クルーズ)
(樫野埼灯台)
串本

08:00発





17:00着

夜明け前、点灯した潮岬灯台を遠望。日の出を望みます。朝食後、潮岬灯台(内部)、第二等フレネル不動レンズが保存展示されている資料室を見学。その後、潮岬灯台周辺のハイキング。遊漁船にて潮岬灯台樫野埼灯台を海上から望みます。昼食は築150余年の古民家レストランでとります。1890年にトルコの軍艦「エルトゥールル号」の海難事故の際、中心となって救護活動された当時の村長「沖周(おき あまね)さん」の生家です。 専用車にて、再び、樫野埼灯台へ。トルコ記念館海金剛、見学後、串本に戻ります。眼下に橋杭岩を望むホテルへ。

串本:ホテル&リゾーツ和歌山串本泊
食事:朝○ 昼○ 夜○
4

串本
梶取崎
梶取埼灯台
安乗崎
安乗埼灯台
大王崎
大王埼灯台

08:00発





18:00着

専用車にて太地町の梶取崎へ。梶取埼灯台(かんどりざき)古式捕鯨狼煙場跡夫婦いぶきの木くじら供養碑鳴子岩を見学後、東紀州を北上して、熊野灘と遠州灘を分ける海の難所、志摩半島の大王崎へ。 途中、映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台になった安乗埼灯台へ。灯台内部、資料館を見学。日没後、灯光を確認した後、大王崎の宿へ移動します。宿の前からは大王埼灯台を間近に望むことができます。

大王崎:モヘジ旅館泊│食事:朝○ 昼× 夜○
5 大王崎
大王埼灯台
麦埼灯台
御座岬
(御座埼灯台)
鎧崎灯台
鳥羽(佐田浜港)
菅島(菅島灯台)
09:00発





16:30発
16:43着

夜明け前、大王埼灯台を展望。宿のすぐ前から灯光が見えます。朝食後、大王埼灯台灯台ミュージアムを見学。その後、引き続き、志摩半島の灯台を巡ります。志摩市志摩町の最南端に位置する麦埼灯台、最西端の御座岬に位置する御座埼灯台(往復約45分)、志摩半島の最東端にある鎧崎の突端に立つ白亜八角形の鎧埼灯台にも立ち寄ります。 専用車にてパールロードを鳥羽へ。鳥羽港から市営定期船にて菅島へ。着後、最古のレンガ造り洋式灯台「菅島灯台」へ。灯光を見学後、宿へ。

菅島:なこら又は別館松村又はニューうず潮泊
食事:朝○ 昼× 夜○
6 菅島
(菅島灯台・大山)
鳥羽(佐田浜港)
神島
(神島灯台・灯明山)
08:00発


17:00着

朝、「菅島灯台」を見学。遊歩道を歩いて菅島一周ハイキング(約7km/約3時間30分)。「しま山100選」にも選ばれている伊勢湾に浮かぶ島々の最高峰・三等三角点のある菅島大山(おおやま・236m )にも登ります(遊歩道の分岐から往復約1km/約40分)。一面の紅つげが群生しています。 定期船にて、菅島から鳥羽を経由して、神島へ。島の中腹につけられた遊歩道を歩き、神島一周ハイキング(約4km/約2時間)。三島由紀夫の小説『潮騒』のクライマックスシーンで舞台となった「監的哨跡」「八代神社」「神島灯台」、白い石灰岩がそびえ立つ「カルスト地形」を訪れます。「しま山100選」にも選ばれている灯明山(171m)にも登ります(遊歩道から分岐して往復約200m/約15分)。

神島:山海荘泊│食事:朝○ 昼× 夜○
7 神島
伊良湖岬
(伊良湖岬灯台)
伊良湖岬
鳥羽港
鳥羽駅

11:00発


11:15発
13:40着
15:00着

船にて渥美半島の伊良湖岬へ。名古屋港を発着する大型船の航路を横切ります。着後、潮流の速い伊良湖水道を行きかう船の重要な航路標識になっている伊良湖岬灯台へ。神島を望みながら伊良湖岬灯台に続く遊歩道を歩きます(約4㎞/約1時間30分)。午後のフェリーにて、伊良湖岬灯台神島灯台菅島灯台を順に眺めながら、鳥羽港に戻ります。鳥羽駅にて解散(15:00)。

食事:朝○ 昼× 夜×
  • 運輸機関のスケジュールの変更、遅延、運行の中止や道路状況などにより、宿泊地や訪問地の順序が変わったり、日程内容に変更が起こることがあります。
  • 食事回数:朝6/昼1/夜6

ご案内とご注意

気候・服装 2月末~3月初めの最高気温は15℃前後、最低気温は5℃前後です。日増しに温かくなってくる季節ですので、気温に応じて対応のしやすい重ね着が便利です。灯台見学時、ハイキング中は天気が良ければ、長袖で過ごすことができますが、夜明け前や日没後は体感温度が下がりますので、フリースやダウン等の防寒着をお持ください。灯台付近や船上は特に風が強いので、ウィンドブレーカーなどの風よけの準備も必要です。雨が降ることもありますので、傘、上下セパレート式の雨具をお持ちください。靴は、菅島、神島ではトレッキングシューズやハイキングシューズが最適です。その他の場所では履きなれた運動靴が便利です。
利用予定ホテル 日程をご覧ください。
灯台見学について 日中の外観見学だけではなく、日没後や夜明け前など灯光が確認できる時間帯に訪れ、灯光を確認する機会を設けています。灯光開始、終了の時間は決まっているわけではなく、その日の天候や周辺の明暗で点灯、消灯するため、お待ちいただく場合もあります。参観灯台(内部見学が可能)については内部見学をしますが、コロナ感染拡大防止のため、見学が中止される場合がありますので予めご了承ください。
参加条件について 灯台は島の高台や岬の先、断崖絶壁などに位置しており、車ではいけない場所がほとんどです。灯台までは急な坂道や石段、狭い道、山道のような場所も歩きます。普段、日帰りハイキングやウォーキングなど、十分に歩いていらっしゃることが参加の条件です。
日程について 移動に船を利用するツアーです。天候により、遅延や欠航が生じ、運航状況によって、日程は変更となる場合があります。島や灯台での滞在時間が短くなったり、行けない場合もあります。予めご了承ください。
旅行条件について 取引条件はこちらの 国内旅行 旅行条件書を、事前に確認の上お申し込みください。
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