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今回は「壱岐と対馬~実りの島と国境を巡る~」の対馬編をご案内します。

対馬

対馬は、九州と韓国の間の対馬海峡に浮かぶ島で、長崎県に属しています。韓国までは直線距離で49.5キロに位置し、まさしく「国境の島」です。

壱岐は平たんな地が多いのですが、それに比べ対馬は平地が少なく、島土の約89%が山地であり、各地に原生林が残されています。島の中央にはリアス式海岸・浅茅(あそう)湾が広がり、海岸線の総延長は915キロに及びます。

対馬へは壱岐から高速船にて約1時間で到着。博多港からだと壱岐を経由し約2時間です。

 

清水山城跡

清水山城三の丸から

対馬藩の城下町、厳原(いづはら)の背後に控える清水山城跡は、豊臣秀吉が朝鮮出兵の年である天正19年(1591)に構築したといわれています。出兵の一大拠点であった肥前名護屋城(佐賀県唐津市)から壱岐・勝本城、朝鮮半島・釜山につながる重要な軍事的中継点でした。清水山の尾根沿いに、東西約500mにわたって一ノ丸(本丸)・二ノ丸・三ノ丸が並び、斜面を這う石垣により結ばれています。厳原の町並みや厳原港を一望できる総石垣の山城です。

万松院

韓国から送られた三具足

百雁木

 

元和元年(1615年)に対馬藩を治めていた宗家20代義成(よしなり)が父義智の冥福を祈って創建した寺で、以降、宗家累代の菩提寺となりました。132段の百雁木(ひゃくがんぎ)と言われる石段を上がると、宗家一族の墓所である御霊屋(おたまや)があり、巨大な墓がずらりと立ち並んでいます。その規模は大大名なみの規模で、金沢市の前田藩墓地、萩市の毛利藩墓地とともに日本三大墓地の一つとも言われています。

万関橋

浅茅湾と三浦湾の間に開削された万関瀬戸と呼ばれる運河に架かる橋が万関橋です。明治後期、南下政策をとるロシアとの戦争の機運が高まり、日本海軍は水雷艇を対馬海峡東水道に出撃させるため、明治34年(1901年)、久須保水道(万関瀬戸)を開削しました。

和多津美神社

古くから竜宮伝説の残るこの神社は彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと)を祭る海宮です。海に向かって並ぶ5つある鳥居(うち2つが海中 にたちますが2020年の台風により1つは海中に倒れています)が印象的です。

烏帽子岳展望台

烏帽子岳(標高176m)は、対馬の中央に広がる浅茅湾の北岸に位置し、360度をぐるりと見渡せる展望台です。階段を上りきった先には複雑な入り江と無数の島々がおりなすリアス式海岸の景観を一望できます。対馬の島内が森林ということがここからだとよくわかります。

韓国展望所

韓国まで約50㎞の至近距離にある上対馬町は、天気のよい日には韓国釜山市の町並みが望むことができます。展望台は韓国のパゴダがモデルになっています。

かすんでいて私は韓国を見ることはできませんでしたが…。

※2021年秋のツアーでは千俵薪山にご案内します。こちらも条件が良い日には韓国まで望むことができます。

椎根の石屋根倉庫群

この石屋根の建物は対馬にしかなく、対馬の中でもどこでも見られるわけではありません。人家には使用せず、衣類の櫃と穀類の俵等が格納されていたそうです。人家の火災等から小屋だけは残るように配慮され、人家と小屋は離して建てられています。今でも実際に倉庫として利用されているものもあります。

浅茅湾クルーズ

マグロの養殖いかだ

海から見た和多都美神社

長板湾から約1時間半浅茅湾をクルーズします。長板浦を出発し、日本でも有数のマグロや真珠の養殖いかだを通り和多津美神社へ。前日に陸から見た和多都美神社を海から眺めることができます。また、浅茅湾のリアス式海岸の様子を見ることができます。

※2021年の秋コースでは、1300年ほど前に築かれた金田城跡を海から眺めるコースへご案内します。

 

対馬の食事

対馬では対馬名物の「石焼」をご賞味いただきます。対馬で採れた石英斑岩という溶岩を火で焼き、その上に野菜や新鮮な魚介を乗せていただく郷土料理なのですが、もとは地元の漁師さん達がとれたての魚介類をたき火に入れた石の上で焼いたのが始まりと言われています。

とんちゃん定食

また、昼食ではとんちゃんという醤油や味噌をベースとした、ニンニク・ゴマ油・みりんなど数種類の調味料で作られたタレに豚の肩ロース肉を漬け込んだ、お隣韓国の焼肉文化も取り込んだ対馬ならでは国境の味です。

 

壱岐、対馬各島2連泊ですので、ゆっくり歴史や自然、地元の食事をお楽しみいただけることでしょう。

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