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添乗員ツアーレポート  東南アジア・オセアニア

遺跡を読む クメール遺跡が紡ぐ、悠久の物語

  • カンボジア

2013.08.01 update

802年、ジャワから帰還したジャヤヴァルマン2世が聖なるクーレン山で転輪聖王として即位しました。現在のカンボジア・シェムリアップを中心に、タイ、ラオス、ベトナムにかけて強大な勢力を誇った、クメール王朝誕生の瞬間でした。やがて1431年にタイのアユタヤ朝によって王都・アンコールが陥落しクメール王朝は滅亡、インドシナは激動の歴史の流れに飲み込まれていきます。かつて600年以上に渡り繁栄を極めたクメール王朝の遺した壮麗な建築群も、次第に密林の中に埋もれて行きました。アンコールワットをはじめとするクメール遺跡群が、フランス人学者のアンリ・ムオの手によって広くヨーロッパ世界に知られるようになったのはわずか150年前のことです。一旦は歴史の流れに埋没しながらも、再び光を取り戻したクメールの遺跡達。長い時を経て、遺跡は私達に往時の栄華を語りかけます。密な彫刻の細部に迫り、大規模な石造建築に感嘆する。遺跡が紡ぐ物語を紐解きに旅へ出かけませんか。

密林に眠るクメール遺跡・ベンメリア(カンボジア)密林に眠るクメール遺跡・ベンメリア(カンボジア)

宗教と神々

  クメール王朝下では、ヒンドゥー教の神々と国家の構造は密接な関係にありました。「転輪聖王」の即位から始まったクメール王朝ではヒンドゥー教が国教とされ、ヒンドゥー教の思想の下に政治と宗教が密接に結びつき、神官としてバラモンが大きな権力を握っていました。その後、時代の変遷とともにヒンドゥー教と仏教の両方を受容する素地ができていったことは、「クメールの覇者」として王国最大の版図を誇った熱心な仏教徒・ジャヤヴァルマン7世などの仏教を篤く信仰していた諸王の存在、イサーン地方のピマーイ、アンコールトムのバイヨン寺院といった仏教とヒンドゥー教の混合寺院の存在からも明らかです。しかし、後の第23代目の王・ジャヤヴァルマン8世の治世に激しい廃仏運動が行われたこと、ジャヤヴァルマン7世の治世も依然として王宮内ではバラモンが勢力を誇っていたことからも、クメール王朝の宗教の主流はあくまでヒンドゥー教であったと考えられるでしょう。
また、クメール王朝以前より存在した「王の神格化」思想はヒンドゥー教の枠組みの中で王をシヴァ神、ヴィシュヌ神と同一視するという主潮をもたらすと同時に、王権の絶対的な集中を支えることとなりました。そのため、クメール王朝期にはシヴァ神、

ヴィシュヌ神を祀る寺院が数多く建立され、先述の二神のほかにもヒンドゥーの神々が寺院に彩りをそえるかのごとく、建築を飾っています。

アナンタの背で寝そべるヴィシュヌ(パノム・ルン)
混沌の海にたゆたう龍王アナンタの背の上で、ヴィシュヌが横たわっています。ヴィシュヌのへそから蓮華の花が生え、その中から創造神のブラフマーが、ブラフマーの額から破壊神であるシヴァが誕生したと言われる天地創造の神話です。このモチーフは広く好まれて用いられており、各所のまぐさ石や破風で、アナンタの背で眠るヴィシュヌの姿と出会うことができます。アナンタの背で寝そべるヴィシュヌ(パノム・ルン)

神話

クメール遺跡を読み解く上で、ヒンドゥー神話は先述の神々の個性を際立たせる非常に重要なファクターです。ヒンドゥー神話はその名の通りヒンドゥー教の神々の神話であり、その数は神々の数以上に膨大で多く、内容も複雑です。クメール遺跡では、ヒンドゥーの神々はただその姿としてだけではなく、神話の一幕の登場人物として描かれることが多くあります。数ある神話の中でも、ヒンドゥー教の天地創世神話で不老不死の薬「アムリタ」を作るために神々が大海をかき回す「乳海撹拌」や、コーサラ国のラーマ王子の活躍を描いた「ラーマーヤナ」を引用したレリーフは多くの遺跡で目にすることができます。クメール遺跡のまぐさ石や破風、寺院の回廊には、華やかな神話の世界が広がります。

シータを誘拐するラーヴァナ(バンテアイ・スレイ)
大叙事詩・ラーマーヤナの一説で、ラーマ王子の妃であるシータが、その美しさに魅せられた魔王ラーヴァナによって今まさにランカー島に連れ去られようという瞬間を描いています。この後、ラーマ王子軍とラーヴァナ率いる魔王軍の間で繰り広げられる戦闘へと続くこととなる非常に重要な場面です。シータを誘拐するラーヴァナ(バンテアイ・スレイ)
乳海撹拌(アンコールワット)
不老不死の薬「アムリタ」を生み出すべく、大亀・クールマの上ではヴィシュヌがマンダラ山の上で乳海撹拌の指揮を執っています。水中の魚が攪拌に巻き込まれ、粉々になってしまった様子まで細かく描かれています。乳海撹拌(アンコールワット)

歴史

  遺跡を彩るのは、神々の姿だけではありません。王都・アンコールトムの中心部に、クメール王朝の護国寺として、ジャヤヴァルマン7世によって建立された仏教寺院・バイヨンがあります。中央祠堂を囲むように配置された観世音菩薩の微笑みをたたえた四面仏塔が印象的ですが、注目すべきは第一回廊に広がる圧巻のレリーフ群です。この第一回廊には、クメール王朝と敵対関係にあったチャンパとの戦いの様子や、食事や商売の取引、ゲームに興じる人々など市井の暮らしを描いた親近感のあるレリーフが寺院の外周を彩ります。バイヨンのレリーフは往時の風土、文化を知る上での資料としても非常に重要な意味を持っています。

生贄の水牛(バイヨン)
ヒンドゥー教では牛は神聖な動物ですが、水牛は全く異なる「悪魔の化身」であると考えられています。そのために選ばれたのか、生贄として水牛が木に縛りつけられている様子が描かれています。また、水牛の血を飲むと力が漲るという呪術的な考え方もあったようです。生贄の水牛(バイヨン)
闘犬(バイヨン)
闘犬に興じる男たちの様子が描かれています。現在もカンボジアで見られる闘鶏と並び、闘犬も娯楽として広く親しまれていましたが、現代では消滅した文化です。闘犬(バイヨン)

にらみ合う両軍の兵士(バイヨン)
厳しい表情をしたクメール軍、チャンパ軍の兵士が睨み合っています。クメール兵が、チャンパ兵の背中に槍を突き立てていることから、戦況はクメール軍に有利な状況であることが推測できます。にらみ合う両軍の兵士(バイヨン)

チャンパとの戦いに向かうクメール軍(バイヨン)
チャンパとの戦いに向かうクメール軍の様子です。坊主で頭が大きく、がっちりとした体形の歩兵はクメール軍の兵士達。中心には立派な牙を持つ象の姿も描かれています。象は古くから物資の運搬や戦闘そのものに適していると戦いの場面で重宝されており、クメール軍においても例外ではありませんでした。
チャンパとの戦いに向かうクメール軍(バイヨン)

未だ残る謎に迫る

白象の伝説が残るタイ東北部の町・スリンから、カンボジア国境へ向けて南下すると密林に佇むタームアン遺跡群に到着します。施療院、宿駅の遺跡とあわせて残るタームアン・トムは、カンボジアとの国境上に残る、シヴァ神を祀る寺院です。遺跡内にはタイ、カンボジア両軍の兵士が対峙していますが、さほど国境最前線といった緊張感はなく、のどかな雰囲気が漂います。特筆すべきは、祠堂内に残されたまぐさ石。時の神・カーラとおぼしき彫刻が、彫刻途中の中途半端な状態で残されています。神殿の外部ではなく、内部の祠堂入口という神殿建築において大変重要な位置を占めるまぐさ石の彫刻が、途中の段階で残されているレリーフは大変珍しく、神殿建築を担っていた人々に一体何が起こったのか、見る者の想像を掻き立てます。
彫りかけのカーラ
彫りかけのカーラ

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