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熊本県を流れる菊池川は、阿蘇の外輪山を源とし有明海に注ぐ一級河川です。菊池市、山鹿市、玉名郡和泉町、玉名市を流れるこの川の流域には、九州内でも多くの装飾古墳が残る地域です。有明海や八代海の沿岸部に伝わった古墳築造や装飾の技術、文化は、この菊池川を遡って時間とともに九州内陸部へと伝播しました。

【遠くに阿蘇をのぞむ菊池川の空撮】

菊池川流域の山鹿市に残るチブサン古墳は、古墳時代後期の6世紀に造られた古墳で熊本はもとより日本の装飾古墳を代表する古墳の一つとされています。チブサン古墳は全長約45mの前方後円墳で、後円部径約23m、高さ約7m、前方部幅約16m、高さ約6mの大きさです。墳丘からは葺石・埴輪のほか武装した石人1体が見つかっています。

【前方部、後円部とも丘になったチブサン古墳】

 

古墳内部には割り石を積み上げて作られた石室が造られています。その石室の奥に石屋型の石棺が配置されています。石屋型の内壁には赤、白、黒の三色で、丸や三角、菱形などの装飾文が描かれていています。

【石屋型の壁画のレプリカ 熊本県立装飾古墳館蔵】

「チブサン」という名前は、正面の二つ並んだ円が女性の乳房に見えることからこの名がついたと言われています。現在も「乳の神様」として地域の人たちに信仰されており、江戸時代には母乳の出がよくなるよう、この古墳に甘酒をお供えしたそうです。

【チブサン古墳近くにある壁画のレプリカ】

内壁の下段には、三本角の冠をつけ両手、両足を広げた人物像が描かれています。三本角の冠は、古墳時代に朝鮮半島南部で使われていた冠と同じ形で、この地との交流があったことがうかがえます。

【朝鮮半島南部と同じ三本の角の冠を被った人】

チブサン古墳の近くには、直径約22m・高さ約5mの円墳・オブサン古墳が残っています。

【オブサン古墳石室入り口】

埋葬施設は南に開口する横穴式石室で全長約8.5m、玄室・前室・羨道からなる複室構造で、現在でも内部に入ることができます。ここからは、玉類や金環、武具、馬具、須恵器などが出土しました。

【石室内部】

オブサンは、産(うぶ)さんが訛ったもので、古くから安産の神様として古くから地域の人たちに信仰されています。この名前は、石室入り口を中心として両足を開いた女性の出産の姿に見えることから「産さん」になったとのことです。

【妊婦が足を広げたように見えるオブサン古墳】

次回は、玉名市の石貫ナギノ横穴古墳と石貫穴観音古墳をご紹介します。

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