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添乗員ツアーレポート  中国・日本・極東ロシア

高野山巡礼と吉野山歩き 高野山編

  • 日本

2021.01.15 update

昨秋、高野山の巡礼道を歩きました。その時の様子をご紹介します。

高野山の大門

高野山の総門、大門

高野山

高野山は、平安時代に空海によって開創され、1,200年以上の歴史を持つ、真言密教の聖山です。空海は平安時代初期の816年に、高野山の開創を朝廷より許可されます。まず空海が行ったことは、高野山に結界を設定することでした。結界の中は、聖なる空間であり、その中に密教の堂塔伽藍を建立するためでした。この行為は、日本の山岳霊場全体に見られる事例だそうです。

 

聖なる空間である高野山には、古くから東西南北さまざまな方角から古道が通じていました。高野山と外界を結ぶ出入口およびそこに通じる古道は、それらを総称して高野七口(こうやななくち)と呼ばれてきました。通常は、町石道、黒河道、京・大坂道、小辺路、大峰道、有田・龍神道、相ノ浦道の七つの道を指すそうです。

 

女人道(にょにんみち)

高野山は明治5年まで女人禁制でした。女性は高野山の結界内部へは入れなかったので、高野七口(こうやななくち)の各入口には、女性のための籠り堂として女人堂(にょにんどう)が建てられました。金剛峯寺境内(高野山の山上全体)を取り巻くように女人堂を結ぶ道ができ、女人道(にょにんみち)と呼ばれるようになりました。女性の巡礼者たちは弘法大師空海の御廟を拝みたいと、高野山の周囲の山々である八葉蓮華の峰々を辿り、女人堂から女人堂へ、女人道を歩いたといわれています。

不動坂口女人堂

不動坂口女人堂

 

女人道巡礼ハイキングは、現存する唯一の女人堂、不動坂口女人堂からスタートします。不動坂口女人堂の向かいの女人堂バス停から、弁天岳(984m)まで登ります。

不動坂口女人堂の向かいの女人堂バス停から女人道に入り、弁天岳まで登りました

弁天岳(984m)

 

弁天岳(984m)で休憩後、少し下ると、高野山の壇上伽藍にある根本大塔(こんぽんだいとう)が遠望できました。根本大塔は真言密教の根本道場におけるシンボルとして、平安時代、空海在世中から建立が開始され、816年から887年ごろに完成したと伝えられています。かつて女人道を歩いた巡礼者たちも、眼下に同じ眺めを見たことでしょう。

壇上伽藍の根本大塔、女人道より

女人道より根本大塔を遠望。周囲を山々に囲まれていることがわかります

壇上伽藍の根本大塔

こちらは壇上伽藍より間近に見た根本大塔

 

その後、大門女人堂跡を経て、高野山の総門、大門へ。大門のすぐ近くには「助けの地蔵」と呼ばれる、願い事を一つだけ叶えてくれることで有名なお地蔵さんがあり、一日も早いコロナ終息をお祈りしました。

大門女人堂跡

高野山の総門、大門に到着

助けの地蔵

助けの地蔵に、一日も早いコロナ終息をお祈りしました

 

途中、秋景色が美しい場所も歩きました。春や夏はまた別の景色が広がっていることでしょう。

女人道を歩く

秋色に染まった女人道(11月中旬)

女人道を歩く

気持ちのいい道も歩きます

 

前述の不動坂口女人堂を除いて、他の女人堂は無くなってしまい、かつての女人堂跡には看板が残るのみとなっています。最後は奥の院前バス停まで下山し、女人道巡礼ハイキングは一旦終了となります。

大峰口女人堂跡

大峰口女人堂跡。看板が残るのみでした

 

町石道(ちょういしみち)

町石道(ちょういちみち)は、七つある高野七口(こうやななくち)の古道のうち、高野山参詣道のメインルートです。空海は、女人禁制であった高野山から、ふもとの慈尊院で暮らす母に会いに、月に9回、町石道を歩いて下山していたと伝えられています。 それが「九度山」という地名の由来ともされています。かつて空海が歩いたように、高野山から町石道の途中、九度山の手前の紀伊細川まで下山しました。

高野山の大門高野山の大門を通過し、町石道へ(11月中旬)

町石道町石道に入ります

 

町石道の由来は、一町(109m)ごとに町石が建てられていることによります。町石は高野山上の根本大塔を起点として九度山の慈尊院まで180基、同じく高野山上の奥の院・弘法大師御廟まで36基の計216基が建てられています。

 

高野山の開山時、空海は木製の卒塔婆を立てて、道しるべとしました。鎌倉時代になると、朽ちた木製の卒塔婆の代わりに石造の五輪塔形の町石が、一町ごとに建て替えられました。町石には、梵字(サンスクリット文字)で空風火水地を意味する言葉が刻まれており、町石自体が一体の仏を表しているそうです。

町石

町石道を歩く。鎌倉時代の町石が多く残っているそうです

 

町石道は高野山の長い歴史の中で、多くの巡礼者たちが歩いてきた古道です。現在でも、四国八十八ヶ所を巡ったお遍路さんがお礼参りに高野山を訪れる際に、この町石道を歩く方が多いそうです。

 

町石道をはじめとする高野七口の古道の中には、熊野古道の小辺路も含まれます。熊野古道を歩いた方は、次は高野山の巡礼道を歩いてみるのも興味深いかもしれません。
語り部と一緒に歩く熊野古道と同じように、高野山の語り部・ガイドの説明を聞きながら、高野山の山歩きを楽しみました。

 

九度山(くどやま)

町石道を歩いた後は、九度山にも立ち寄ります。九度山は、関ケ原の戦いに敗れた真田昌幸・幸村の父子が配流され、大阪の陣まで真田幸村が蟄居生活を送った場所です。かつての真田屋敷の跡には、真田庵が建てられており、敷地内には真田昌幸の墓もあります。戦国ファン・歴史ファンなら、一度は訪れたい場所のひとつでしょう。

真田庵

九度山の真田庵

 

九度山駅

真田六文銭に装飾された九度山駅

 

高野山の宿坊、金剛三昧院(こんごうさんまいいん)

修行僧たちが生活する宿坊に泊まる。これも高野山ならではの楽しみです。宿坊というものがいつから始まったのかは、定かではありません。高野山は標高850mの山中にあるため、かつては日帰りができる場所ではありませんでした。そのため、縁故あるお寺に宿泊するようになったのが始まりといわれています。

 

私たちは金剛三昧院(こんごうさんまいいん)の宿坊に泊まりました。金剛三昧院は、尼将軍の北条政子が、夫・源頼朝と息子・実朝の菩提を弔うために建立し、鎌倉時代の風雅を今に伝える由緒ある名刹です。宿坊では、肉、魚などを使わない「精進料理」をいただきました。高野山で採れる山菜、名物の胡麻豆腐、高野豆腐などの優しい味でした。金剛三昧院の宿坊は、老舗旅館のような快適さで、温かいお風呂に入った後は、聖地・高野山の宿坊の一室で物思いにふけり、静かな夜を過ごしました。

金剛三昧院の多宝塔

金剛三昧院の多宝塔。鎌倉時代に建立された、高野山に現存する最古の木造建築物です

金剛三昧院の夕食(精進料理)

金剛三昧院の宿坊でいただいた精進料理

金剛三昧院の宿坊

金剛三昧院の宿坊の一室

 

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春の季節は高野山の桜にも期待です。

高野山の桜

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