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Shari

27f72ba92f0e5bab(C)2020 吉開菜央 photo by Naoki Ishikawa

北海道(日本)

Shari

 

監督: 吉開菜央
公開:2021年

2021.12.8

知床・斜里(しゃり)町にドロンと現れる、得体の知れない「赤いやつ」

日本最北に位置する知床半島・斜里町。希少な野生動物が人間と共存する希有な土地として知られるこの町には、羊飼いのパン屋、鹿を狩る夫婦、海のゴミを拾う漁師、秘宝館の主人、家の庭に住むモモンガを観察する人など個性的な人々が暮らし、冬になるとオホーツク海沿岸に流氷がやって来る。

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しかし2020年の冬は雪が全く降らず、流氷もなかなか姿を現さない。そんな異変続きの斜里町に、どくどくと波打つ血の塊のような空気と気配を身にまとった「赤いやつ」が突如として出現。

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「赤いやつ」は町内を自由自在にさまよい歩き、子どもの相撲大会に飛び込んでいく・・・

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本作はダンサーでもある吉開菜央さんの監督作で、「鑑賞する」というよりも、作中に込められているダンス・振り付けのような動きのパワーを「体感する」というほうが、作品の手触わりを言い表すのに相応しいかもしれません。

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「シャリッ」という雪の音を筆頭に、さまざまな擬音がカット変遷のペースを握っているのですが、擬音(オノマトペ)というのは不思議なものだなと思うことが、子育てをしてから多くなりました。

もともと、旅先で自分とは喋る言葉が違う人に会うと、擬音や畳語(繰り返し言葉)はよく話の種になるので、関心はありました。犬・鶏・羊など生き物の鳴き声、お腹の鳴る音、料理の音、ゴジラの鳴き声、ゴワゴワ・サクサク・ニヤニヤなどという言葉を、どうやって多言語に翻訳するのかに度々悩まされた記憶があります。

子育てをして気付いたのは、擬音や畳語というのは特段教え込まなくても、子どものボキャブラリーにスッと自然に加わっていくことです。とても不思議です。そして、ときどき大人がポカンとさせられるのは、モクモク・パクパク・プンプンなど、大人にとっては何ら面白くない言葉を言うだけで大爆笑になるときです。

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本作に登場する謎の存在「赤いやつ」は、そんな童心の壮大さを体現しているような気が僕はしました。可笑しく不可解で、時にはブルッと震えるような恐ろしさも持ち合わせている(「赤」は血も象徴しています)とでもいいましょうか・・・

シャリッと雪を踏んだ足音が、地球を一周回って色々貫通した末に再び自分の身体に戻ってくるような想像は、大人になるといつしかできなく(しなく)なってしまうなと、童心への憧憬を本作から僕は感じさせられました。

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体全体がグワッと映画に引き寄せられて、いつの間にかジワッと知床半島・斜里の地に身体に溶け込んでいるかのような心地がする『Shari』は、10/23(土)より全国順次上映中。詳細は公式ホームページをご確認ください。

冬の奇跡 美瑛の雪原とオホーツクの流氷世界く

ツアーでは富良野に2泊し、富良野の冬景色を上空から満喫する熱気球フライト、美瑛では白銀の世界の中でスノーシュー体験へご案内。また、冬の北海道の代名詞である流氷を堪能するための流氷クルーズはもちろんのこと、流氷を直接肌で感じていただける流氷ウォーク®にもご案内。通常の冬の北海道ツアーでは味わうことのできない体験ができる充実の5日間です。。

東京物語

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尾道(日本)

東京物語

 

監督: 小津安二郎
日本公開:1953年

2021.11.10

1953年から変わらず保たれている、港町・尾道の原風景的景観

広島県の港町・尾道で暮らす老夫婦・周吉ととみは、東京で暮らす子どもたちを訪ねるため久々に上京する。しかし医者の長男・幸一も美容院を営む長女・志げもそれぞれの生活に忙しく、両親を構ってばかりはいられない。唯一、戦死した次男の妻・紀子だけが彼らに優しい心遣いを見せるのだった・・・

(C)1953/2017 松竹株式会社
(C)1953/2017 松竹株式会社

海外の映画メディアが、往年の日本映画ベストランキングを作成する際に、必ずベスト5に入る作品が本作『東京物語』です。1953年公開の作品ですがストーリーはとても現代的(現代社会の諸現象に通ずる点が多い)で、「血縁関係のない人のほうが血縁関係がある人よりも気遣いをみせてくれる」というストーリー展開については、僕が最近監督した作品でも本作をマネました。

西遊旅行のツアーには、目的地が秘境であるがゆえによく使われるキーワードがいくらかありますが、僕が在職中に最も多く関わったのは「原風景」に関連したツアーです。特にブータンは「昔の日本はこうだった」とお客様が見入るような、四季折々の稲田の風景がツアーの魅力のひとつでした。

今回、西遊旅行の国内ツアーを眺めているときに、尾道に対して「原風景」というキーワードが使われていることに気づきました。奇しくも僕は尾道を重要なロケ地として作品を撮ったことがあるのですが、尾道の場合、「原風景」というのは何を意味するのか『東京物語』を今一度観ながら考えてみました。そして、それはおそらく「繰り返しおとずれ、かつ、変わっているようで変わらないものがある」ということかと思いました。

『東京物語』は、老夫婦の東京への旅を挟む形で、オープニングとエンディングが尾道で展開され、オープニングとエンディングを比較するとある人物の不在が際立つストーリー構成となっています。その不在を包むのは、尾道の景観と人々の日常です。尾道市街と対面する向島とを数十分単位で往復する通称「ポンポン船」、市街を走る電車、小学校から聞こえる合唱の声、尾道市街を一望する浄土寺で迎える夜明け。こういった要素で映画は始まり、終わっていきます。

そして、尾道が何より魅力的なのは、もちろん多少形は変わってはいるものの、こうした景観や地域の人々の日常がほぼそのまま残っている(変わっているようで変わらない)ことにあります。ぜひ、尾道のツアーに参加される前には、『東京物語』をご覧になってからの参加されてみてください。

日本の原風景紀行
鞆の浦と尾道&錦帯橋と厳島を歩く

鞆の浦は「潮待ちの港」として江戸時代から栄え、坂本龍馬ともゆかりの深い港町。古い町並みを歩いて散策します。近年では「崖の上のポニョ」の舞台としても有名です。尾道は多くの映画の舞台にもなった海と山と坂とお寺の町。日本遺産でもある「箱庭的都市」を歩きます。迷路のようでレトロな坂の町、そして船の行き交う海辺を歩きます。

裸の島

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日本(瀬戸内海)

裸の島

 

監督:新藤兼人
出演: 乙羽信子、殿山泰司ほか
公開:1960年

2021.4.21

瀬戸内海・宿禰(すくね)島の日常とコロナ禍

瀬戸内海の孤島、広島県・宿禰(すくね)島に、中年の夫婦と二人の子どもが生活している。島には水がなく、畑へやる水も飲み水も近隣の島から船で桶に入れて運ぶ。夫婦の仕事の大半は、この水を運ぶ労力に費いやされている。そんな淡々とした日常の中にも、幸福や喜びがある。ドラム缶風呂に入るひととき、釣りあげた鯛を町で金にかえて日用品を買うひととき・・・。しかし、ある暑い日の午後、突然子どもが発病してしまう。

本作は、いわゆる「名画」とカテゴライズされる日本映画の中で、最も実験的でありながらも世界的な知名度を誇る一作です。モノクロ、セリフなし、効果音と音楽のみで構成、淡々としたストーリー。そう聞くと退屈そうに聞こえてしまいますが、私はコロナ禍になってしばらくしてから、無性に本作が観たくなって10年ぶりぐらいに再鑑賞しました。

なぜコロナ禍と本作が関係あるかということですが、外出の自粛を要請され、スーパーマーケットやコンビニや散歩など限られた目的でしか出歩けないという状況下で、コンビニから家に向かって歩いているときに本作のあるシーンをふと思い出しました。主人公たち(父親・母親)が水の入った重い桶を肩にかけて、炎天下のあぜ道を歩くシーンです。私が持ち運んでいたのは桶に入った水には到底及ばない重量の荷物でしたが、そのほかに、これだけ広い世界が広がっているのにたった数箇所との間しか行き来できないことに対する不可思議さのようなものを抱えていました。

作品の舞台になっているのは瀬戸内海の島で、雄大でありながらも時に人間に牙をむく厳しさを持った自然に、登場人物たちは囲まれています。一方、コロナ禍の私を囲んでいたのはウイルスです。ウイルスは自然ではありませんが、私たち人間とは違い生物ではなく、意思を持っていないという点では自然と似通っています。

あらすじに書いている通り、本作では子どもが病気に苦しめられます。病気にかかっても、自然はそんなことは知らずにいつも通り流転していきます。私がコロナ禍の中で歩みをすすめる中で、なぜ『裸の島』がふと観たくなったのか・・・・・・それは、本作で描かれている「意思にあふれた人生」と「 意思を持たない自然」との圧倒的なコントラストに、助けを求めるような気持ちだったのだと思います。実際、本作を観た後からは、無味乾燥に思えたすぐ近所での買い物からの帰り道を味わい深く歩めるようになりました。

ちなみに、ロケ地の宿禰島は2013年に競売にかけられ一度一般の人が落札した後、新藤兼人監督の二男が買い戻し、広島県・三原市に寄贈されました。また、2012年に亡くなった新藤兼人監督の遺骨は、翌年・一周忌のときにこの宿禰島界隈に散骨されたそうです。