タグ別アーカイブ: 三重

浮草

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日本(三重)

浮草

 

監督:小津安二郎
出演: 中村鴈治郎、京マチ子、若尾文子ほか
日本公開:1959年

2021.5.5

志摩半島の最果て・波切で揺れうごく、歌舞伎座一団の人間関係

三重・志摩半島の港町の歌舞伎座に、知多半島一帯を廻って来た嵐駒十郎一座が訪れる。そこには三十代の頃に駒十郎の子どもを生んだお芳が移り住んで、駒十郎を待っていた。その子・清は郵便局に勤めていて、お芳は清に、駒十郎のことを伯父だと言い聞かせている。駒十郎が清と交流を持つ内に、連れ合いのすみ子が背後にひそむ関係に勘づき始める・・・

映画のロケ地巡りは、秘境・辺境など、言ってみれば「なかなか行かない場所」に足を伸ばすにもってこいの理由付けです。本作は三重県志摩市大王町の波切という場所がロケ地の中心地になっていますが、この地に住む人以外にとっては(東海や紀伊在住の方であっても)なかなかここまで足を伸ばす機会ないのではと思います。

というのも、波切は伊勢神宮よりもさらにさらに先。伊勢志摩サミットが行われた賢島よりもさらに先。真珠の養殖とリアス式海岸で有名な英虞湾をぐるりとまわる最中にあります。

なぜここまで詳しく知っているかというと、波切まで行こうと何度か試みたことがあるからです。青春18切符と公共交通機関を使って日本各地を旅したことが何度もありますが、紀伊半島を反時計まわりにまわってくる際や、近鉄線で関西から三重方面に移動する際には、『浮草』のロケ地を見てみたいということで毎回チャンスを伺っていました。しかし、小津安二郎が10代を過ごした松坂を訪問して「小津巡り」は満足してしまったり、賢島にさしかかったあたりで天気が悪化したりして、いまだに訪れられないでいます。

小津安二郎の作品には映画の本筋とは直接関係ない景観や町並みの様子が映される、通称「枕ショット」が随所に挿入されますが、堤防の灯台と黒いビール瓶の対比や、おそらく今もそう変わっていないであろう波切の石畳の坂道・石垣・防風林で囲まれた住居群の光景はとても旅情をかきたてられます。数々の画家が訪れた「絵描きの町」とも言われているそうです。

あらすじにも書いてある通り、歌舞伎団の一座は知多半島(ここもまた東海にでも住んでいたりしないとなかなか訪れる機会がない場所ではないかと思います)を経て志摩に来るわけですが、映画には直接描かれていない一座の旅の動線が、ストーリー中の登場人物の感情にしっかり反映されています。カメラマンがいつもと違い(定番タッグの厚田雄春ではなく、黒澤明・溝口健二とのタッグで有名な宮川一夫)、生い立ちに縁がある地での撮影のためか、小津安二郎の監督作品の中でも特異な演出が見れる一作です。

埋もれ木

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日本(三重・群馬)

埋もれ木

 

監督:小栗康平
出演: 夏蓮、浅野忠信、岸部一徳ほか
日本公開:2005年

2021.4.14

日本人が日本の秘境を旅すること
地中から埋もれ木が掘り起こされること

ある田舎町。高校生のまちは女友達と短い物語をつくり、それをリレーして遊ぶことを思いつく。スタートは町のペット屋さんが”らくだ”を買って、”らくだ”が町にやって来たという夢物語。彼女たちは次々と、そして唐突に物語を紡いでいく。

一方、同じ町の中で、ゲートボール場の崖が崩れて“埋もれ木”と呼ばれる古代の樹木が地中から姿を現す。夢と物語と現実とが少しずつ重なり始め、ファンタジーな世界が開けていく・・・

ちかごろ西遊旅行のホームページを見ていて、魅力的な国内ツアーがどんどん増えていっていることに気づきました。「日本にはこんな場所もあったのか」と驚くようなツアーが多くありました。
そこで、昨年も邦画をいくつかご紹介しましたが、まだご紹介していなかったこの『埋もれ木』という作品について書きたいと思います。

埋もれ木は埋没林ともいわれ、古代の森が火山噴火によってそのまま地中に埋もれたものです。この映画で描かれる埋もれ木という存在は、個々人が持つ思い出・記憶などのストーリーの譬喩であると私は解釈しています。

住むにしても旅するにしても、人が立っている大地というのは(たとえ埋立地であっても一面コンクリートであっても)何かしらの記憶をもっています。ときに「風土」と呼ばれたり、「伝統」と呼ばれたりして、それらは気まぐれなタイミングで人の前に立ち現れ、思考や記憶と交差します。

海外ではなく日本の秘境を旅する楽しみは、そうした気まぐれな邂逅(セレンディピティ)の確率の高さにあるかもしれません。2017年にノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの最近のインタビューでこのようなコメントがありました。

俗に言うリベラルアーツ系、あるいはインテリ系の人々は、実はとても狭い世界の中で暮らしています。東京からパリ、ロサンゼルスなどを飛び回ってあたかも国際的に暮らしていると思いがちですが、実はどこへ行っても自分と似たような人たちとしか会っていないのです。
私は最近妻とよく、地域を超える「横の旅行」ではなく、同じ通りに住んでいる人がどういう人かをもっと深く知る「縦の旅行」が私たちには必要なのではないか、と話しています。自分の近くに住んでいる人でさえ、私とはまったく違う世界に住んでいることがあり、そういう人たちのことこそ知るべきなのです。

この言葉を読んだときに、日本人が国内の秘境を旅するというのは、「縦の旅行」と「横の旅行」のメリットを兼ね備えているのではないかと思いました。

私は最近ご縁あって奄美大島でドキュメント映像を撮らせてもらっているのですが、土地土地にどんな埋もれ木(ストーリー)が埋まっているかは、島にずっと住んでいる方々のほうが逆にわからなかったりします。そこに「横の旅行」的なモチベーションで旅行者や移住者が来て、同じ日本人としての「縦の旅行」的な好奇心で旅して人々や風土・伝統と触れあう。そうすると、想像もしていなかったようなストーリーがゴロッと転がり出てくる。

そういう瞬間に立ち会えることがドキュメントを撮っていて本当に面白いなと思う(一部こちらからご覧いただけます)のですが、『埋もれ木』という映画が描こうとしているのも根本的には全く同じに思えます。個々人のストーリーがゴロッと掘り起こされて、他者と分かち合われる。この素晴らしさを小栗康平監督は描きたかったのだと、私は解釈しています。

『埋もれ木』は三重や監督の故郷・群馬の風土が土台となっていますが、観客の想像力を縦横無尽な旅に連れて行ってくれる一本です。