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風をつかまえた少年

89f9019d2445dac7(C)2018 BOY WHO LTD / BRITISH BROADCASTING CORPORATION / THE BRITISH FILM INSTITUTE / PARTICIPANT MEDIA, LLC

マラウィ

風をつかまえた少年

 

監督: キウェテル・イジョフォー
日本公開:2019年

2021.12.1

現代マラウィ版・宮本武蔵―14歳の少年はどのように風をつかみ、水を味方につけたか?

2001年、アフリカの最貧国の内の一国・マラウィを大干ばつが襲う。14歳のウィリアムは貧困で学費を払えず通学を断念するが、図書館で出合った1冊の本をきっかけに、独学で風力発電のできる風車を作り、畑に水を引くことを思いつく。

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しかし、ウィリアムの暮らす村はいまだに祈りで雨を降らそうとしているところで、ウィリアムの考えに耳を貸す者はいなかった。それでも家族を助けたいというウィリアムの思いが、徐々に周囲を動かし始める・・・

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本作は『風をつかまえた少年―14歳だったぼくはたったひとりで風力発電をつくった』という、2010年に出版されたノンフィクション本をもとにした作品です。タイトルには「風」が前面に出ていて、遍く吹き抜ける風が、物語において象徴的要素になっていますが、僕は本作は「水」の話だと受け取りました。

2001年当時、マラウィでは人口の2%しか電気を使うことができなかったそうです。主人公のウィリアム少年は学費が払えずに退学になりつつも、両親を含む大人たちが直面するシビアな飢餓の危機を目の前にして、図書館にある本を読もうとする熱意を捨て去りません。その様子はさながら、荒れ地に流れこんできては地に吸い取られ、それでもまた流れこんで来る水流のようです。

ウィリアムは、風力で電気を得て、畑に水を行き渡らせる動力源となる水車を回そうと試みます。畑に水が行き渡れば、もちろん作物を実らせる環境を整えることができるのですが、映画のつくり手である僕からするとそれ以上に、キャラクター造形における「水」の重要性が見て取れます。ウィリアム少年自身は、まるである時期の宮本武蔵のように、「水」の本質を体現しようと自己研鑽していくのです。

武蔵は中年にさしかかかったとき、道端で遭遇した伊織という少年を養子にとり、共に数年がかりで荒れ野を開墾し、治水して田畑を作りました。その田畑のある村が山賊に襲われた際には、山賊と闘い、村人にも闘い方を教えて一丸となって村を守ったと言われています。

「9.11の同時多発テロ事件の裏側で、アフリカのマラウィではどのようなことが起こっていたか?」という疑問は、本や映画がなければまず抱かないはずですが、強力な渦潮のようなグローバル社会の流れの中で「風をつかまえる」という行動に最貧国の一国・マラウィに暮らす少年が行き着けたのは、宮本武蔵さながらに「水」を味方につけて家族を守ろうとした結果なのです。劇中で大雨のシーンが印象的ですが、ただ大雨が降っているということではなく、そのようなキャラクター造形の意図のもと雨が降っているのだという視点を持って鑑賞されると、映画の深みが増すと思います。

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宮本武蔵の『五輪書』を構成する「地の巻」「水の巻」「火の巻」「風の巻」「空の巻」がすべて含まれているような本作は、約20年前のマラウィの厳しい状況を、小川のような穏やかな流れの中で味わう旅に案内してくれます。

ドラケンスバーグも訪れる 知られざる東南アフリカ5ヶ国縦断

世界遺産マラウィ湖からインド洋に面したモザンビーク島、さらに南部アフリカの中で未だ訪れる観光客の少ないモザンビーク、エスワティニ(旧スワジランド)、レソトを縦断。南アフリカとレソトの国境では「龍の山」とも呼ばれ、緑の谷と峻険な奇峰群が連なるドラケンスバーグ山脈の大自然をご覧いただきます。