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存在のない子供たち

7513e685abca72a1(C)2018MoozFilms

レバノン

存在のない子供たち

 

Capharnaum

監督:ナディーン・ラバキ―
出演:ゼイン・アル=ラフィーア、ヨルダノス・シフェラウほか
日本公開:2019年

2019.7.17

「存在しないはずの少年」を苦しめる、レバノン社会の歪み

レバノンの法廷で、12歳の少年・ゼインが「僕を生んだ罪で両親を訴えたい」と口にする。なぜゼインはそうするに至ったのか? そう観客に疑問を抱かせながら、物語は幕を開ける。

サブ1

ゼインは両親が出生届を提出していないため、IDを持っていない。ある日、ゼインの妹が年上の男性と強制的に結婚させられたことで、日々溜まっていたゼインの怒りは爆発し、家を飛び出す。

サブ3

仕事を探しにさまようゼインは、沿岸部のある町でエチオピア移民の女性・ラヒルと出会う。ラヒルは寝食に困っているゼインを自宅に泊まらせ、ゼインはラヒルの赤ん坊を世話をして危機をしのぐ。こうして、ゼインの新しい日常が始まるが、それもそう長くは続かず・・・

サブ2

旅ををすることで得られる喜びのひとつは、「世の中にはこんな場所があるのか!」「世の中にはこんな生き方の人がいるのか!」といった、未知のものと出会う驚きにあると思います。「驚き」というのは、ワクワクするようなポジティブさをもって語られる場面が多いですが、人は圧倒的な惨状・困窮状態などを目にした時にも、言葉に詰まるような、悲しみを伴った驚きを感じます。

サブ7

本作で観客が感じる驚きは、その両方が複雑に混ざって容易には消化できないものとなるでしょう。一方で、隣国・シリアやアフリカからの押し寄せる難民を抱えるレバノン社会問題の深刻さに、言葉を失うような驚きを感じます。しかし他方で、12歳の少年が大人を凌駕する力強さで状況を打開していく圧倒的なエネルギーに驚き、勇気をもらうことができます。

サブ8

とはいえ、まだ12歳のゼイン少年は「大人の壁」にぶつかり涙を見せることがあります。その涙は彼が自分の心の中を隅から隅まで旅した証で、観客は彼から見た世界の広大さをそこに見出すことができるでしょう。

メイン

『存在のない子供たち』は、7/20(土)よりシネスイッチ銀座、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次ロードショー。その他詳細は公式ホームページをご覧ください。

荘厳のバールベック レバノン一周

古代遺跡から緑豊かな自然まで、多様な見どころが点在しているレバノン。その魅力を余す所なく楽しんでいただく8日間です。国土が岐阜県ほどの大きさしかないため、移動距離も少なくゆったりとした日程です。

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ベイルート

レバノンの首都で、経済・政治の中心地。人口は約180万人。住民はキリスト教徒、イスラム教徒が共存しており、文化的に多様な都市の一つともなっています。1975年から15年に渡る内戦によりイスラム教徒地区の西部と、キリスト教徒地区の東部に分割されています。

旅のおわり世界のはじまり

a193df393864d400(C)2019「旅のおわり世界のはじまり」製作委員会/UZBEKKINO

ウズベキスタン

旅のおわり世界のはじまり

 

To The Ends of the Earth

監督:黒沢清
出演:前田敦子、染谷将太、柄本時生、加瀬亮、アディズ・ラジャボフ
日本公開:2019年

2019.7.10

遠い異国の地・ウズベキスタンで、一番近い「自分」の心に迷い込む

いつか舞台で歌うという夢を持つテレビ番組レポーター・葉子は、巨大な湖に潜む幻の怪魚を探すという番組制作のため、ウズベキスタンを訪れる。クルーたちは番組収録を始めるが、異国の地でのロケは思うように進まず、現場はいら立ちに満ちていく。ある日、撮影が終わって1人で町に出た葉子は、歌声に導かれて美しい装飾の施された劇場に迷い込む・・・。

本作はウズベキスタンの首都・タシケントにあるナボイ劇場の創建70周年を記念して製作されました。タシケントのほかにも、古都・サマルカンドや山岳地方など、ウズベキスタンの魅力を存分にいかした撮影がなされています。

イスタンブールと同じく「文明の十字路」と形容されるウズベキスタン。その荒涼とした大地に立つ葉子の心に様々な思いが交錯している心の動きが、言葉で言わずして、映像の力をもって伝わってきます。

私はウズベキスタンに行ったことはありませんが、成田からウズベキスタン航空の直行便も飛んでおり(約9時間)、ウズベキスタンという国は意外と「近い場所」に感じるのではないかと思ってきました。しかし、前田敦子演じる葉子にとって、ウズベキスタンは「遠い異国の地」です。

「距離感」は物理的な尺度だけではなく、心理的な要素も影響します。 葉子は、自分の未来への不安、うまくいかない現在、そして心の底にある過去のあいだを、「異国の地」でぐるぐると巡っていきます。

人は様々な思いで旅に出ますが、100%旅先に染まるということは稀です。いくらかは出発点や、家庭や、何か軸になっているものを旅先に持ち込むような形で、旅先に染まりきらない要素を何かしら旅人は持っているものです。そんな一切合切を乗り越えて新しい地平へ、旅の途中にさらに旅立つパワーを本作は感じさせてくれます。

記念すべき日本・ウズベキスタン初合作映画『旅のおわり世界のはじまり』は、6/14(金)から全国ロードショー中。詳細はホームページでご確認ください。

文明の十字路ウズベキスタン

いにしえのシルクロードの面影を残すウズベキスタン。50以上の歴史的建造物が往時の姿のままに保たれているヒヴァ、中世隊商都市ブハラ、英雄ティムールの故郷シャフリサブス、そして、中央アジア最古の都市サマルカンド。世界遺産の4都全てを巡ります。。

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タシケント(ナヴォイ劇場)

ウズベキスタンの首都で旧名シャシュ。「石の街」を意味するこの街は中国の文献で「石国」という名でも記録されています。1966年の大地震によって、街の大部分は破壊され、ソビエト時代に新しい街が形成されましたが、旧市街には古きシルクロードの面影を残す建物が残っています。

ナヴォイ劇場は1947年完成のオペラ・バレエ劇場。この劇場は、第2次世界大戦中タシケントに抑留された日本兵が建築に強制労働として参加されました。勤勉に工事に従事した日本兵のおかげで、1966年の大地震でも全く損傷がありませんでした。この地で眠った日本兵の方々の墓地も、タシケントの郊外にあります。

ホームワーク

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イラン

ホームワーク

 

Mashgh-shab

監督: アッバス・キアロスタミ
出演: テヘランの小学生たち
日本公開:1995年

2019.6.26

「なぜ宿題をしてこなかったの?」という問いから、イランの社会問題を考える

1987年、テヘランのジャヒッド・マスミ小学校。学校内の一室で、監督が次々と子どもたちや彼らの親にインタビューをしていく。親がペルシャ語を読むことができず子どもの宿題をみれないこと、1979年のイスラム革命で教育システムが変わってしまって勉強を教えようとすると混乱すること、家庭内で体罰が横行していること、宿題の量が多く子供たちの負担になっていることなどが明らかになっていく・・・

本作は以前ご紹介した『そして人生は続く』と同じく、2016年に亡くなったアッバス・キアロスタミ監督の作品で、デジタルリマスターされたソフトが発売されたことによって、観る機会が得やすくなった一作です。

イランでは映画に対する検閲があり、宗教的・政治的に問題がある作品は製作・上映が認められません。それが理由で多くの作家が活動を禁じられたり、イランを去ったりしましたが、アッバス・キアロスタミ監督は日本を含む海外での作品製作も行いつつも、ずっとイランを拠点に活動していました。

本作は、製作時にどこまで監督がそこを計算したのかはわかりませんが、検閲のギリギリラインを攻めた作品といえるかもしれません。

自身の息子がしている宿題に疑問を抱いたことがきっかけで、監督は自ら映画に出演して、「なぜ宿題をしなかったのか?」と子どもたちに尋ねていきます。ストーリーはそれだけといえばそれだけなのですが、DVDジャケット写真の右下の方を見ていただければわかる通り、質問を続ける内に泣き出してしまう子もいます。かと思えば、あっけらかんと答える子もいて、十人十色の反応を見ることができます。

宿題の内容に疑問を持つことは、教育方針を策定している政府を批判することとも捉えられる可能性があります。しかし、インタビューという手法によって、インタビュー対象者が「主体的に」言ったことが「撮れてしまった」という形で、監督の意志からいくつかクッションを挟むことによって、直接的な政府批判であると捉えられるのを避けています。国民にとって検閲はないほうが好ましいかもしれませんが、結果的には、検閲があることによってこのユニークな表現が生まれたと言われています。

チベット・ブータンの仏教学校、ラダック、バングラデシュなど、ツアー中に様々な学校に訪れる機会がありましたが、生徒たちの生活の様子が見れるだけでなく、彼らが大人になった未来を想像することができて私はとても学校訪問が好きでした。本作に出演した子どもたちも、今では現在30〜40代になっていることを思い浮かべながら観ていただくと、映画の中に流れる時間が豊かになって、本作をより楽しむことができるはずです。

エレニの帰郷

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ギリシャ

エレニの帰郷

Trilogia II: I skoni tou hronou

監督:テオ・アンゲロプロス
出演:ウィレム・デフォー、ブルーノ・ガンツ、ミシェル・ピッコリ、イレーヌ・ジャコブほか
日本公開:2008年

2019.6.19

ヨーロッパ・アメリカ・旧ソ連―離散するギリシャの「民の記憶」

1999年、ギリシャにルーツを持つアメリカの映画監督Aは、母エレニ、彼女を思い続けた男ヤコブ、そしてエレニが愛したスピロス、男女3人の映画撮影をローマで再開する。

1953年、スピロスは恋人のエレニを追い求め、タシケント(現ウズベキスタン)へやって来る。そしてギリシャ難民の町・テミルタウ(現カザフスタン)に訪れたとき、友人ヤコブと共に集会に参加していたエレニと再会する。しかしその日、折しもスターリンが亡くなる。ソ連当局に捕えられた二人は、再び引き裂かれる。エレニはスピロスとの子供を腹に宿していた。その後、エレニはシベリアの牢獄に送られるが、そこにヤコブがやってくる・・・

悠久の神々の歴史を持つギリシャ。
「文明の十字路」と呼ばれるのはトルコのイスタンブールですが、バルカン半島最南端の本土と3000を超える島々から成るギリシャはいつの時代も、波を切る船首のようであり、時に荒波に揉まれる「歴史の十字路」であると言えるかもしれません。

本作では旧ソ連諸都市・ローマ・ニューヨーク・ベルリンなど、ギリシャから離散していった人々を想起させるかのごとく、世界各地が舞台になっています。

背景となっているのは、第二次世界大戦スターリンの死、ウォーターゲート事件、ベトナム戦争、ベルリンの壁崩壊など、激動の20世紀の歴史的事件です。

湾岸戦争、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、アメリカ同時多発テロ事件、イラン・イラク戦争、東日本大震災、福島原発事故、シリア内戦など、1986年生まれの私もまた時代を揺るがす事件を背景にこれまで生きてきました。観客によって「記憶の焼き付き方」は違いますが、歴史的事件というのは過ぎ去ってしまったことであると同時に、後で振り返った時に、その記憶を共有し深め合うことで思いもよらない大きな繋がりを見出せる可能性があります。

決して明るく鑑賞できる映画ではありませんが、つらく悲しい旅路から、歴史の優大さ、人間の強さを感じさせてくれる一作です。(本作は3部作のうち2作目で、2012年に監督のテオ・アンゲロプロスは3作目を撮影中に事故で他界し、3部作は未完となっています。一作目は『エレニの旅』という作品です)

ローマでアモーレ

poster(C)GRAVIER PRODUCTIONS,INC. photo by Philippe Antonello

イタリア(ローマ)

ローマでアモーレ

 

To Rome with Love

監督:ウディ・アレン
出演:ロベルト・ベニーニ、ペネロペ・クルス、ジェシー・アイゼンバーグほか
日本公開:2013年

2019.6.12

名匠ウディ・アレンが描く、永遠の都・ローマの魅力

娘がイタリア人と婚約した音楽プロデューサーのジェリー(ウディ・アレン監督本人)は、妻とローマを訪れる。
田舎者のアントニオは叔父から仕事を紹介され、婚約者のミリーとローマに移り住むことになる。
小市民レオポルドは妻・子供2人で平凡に暮らしている。ある日突然、なぜかレオポルドは「有名人」としてパパラッチに追いかけられ、朝ごはんの内容から妻の服まで、何から何までメディアに聞き回られるようになる。
アメリカ人有名建築家のジョンは、30年前に暮らしていたローマのアパートに現在暮らす建築家の卵・ジャックと偶然出会う。恋人がいるジョンには、最近気になる人がいて、ジョンはジャックにちょっかいを出しはじめる。

ローマにいる様々な人々のやりとりから、古都の姿が浮かび上がっていく・・・

『マンハッタン』『アニー・ホール』などの作品で有名な名匠ウディ・アレンは、2000年代に入ってからバルセロナ・パリ・ロンドン・ローマなどヨーロッパの人気観光都市で作品を撮りました。

ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世広場で交通整理をしているおじさんの案内から始まり、人気スターが競演する群像劇で物語が展開していくだけでなく、カンピドリオ広場、トレヴィの泉、ローマ・テルミニ駅、スペイン広場、ポポロ広場、コロッセウム、水道橋など、ローマの悠久の歴史が現在も脈々と受け継がれていることが映像的に表現されています。

「ローマでは、起こること全てがドラマになる」というような言葉もありますが、本作を見た後には間違いなくローマに「自分の物語」を探しに行きたくなるでしょう。歴史を押し付けがましく説明するのではなく、登場人物たちが心の中で次々とバトンタッチしていきながら、ローマという都市の過去・未来の俯瞰図を作っているかのようなストーリーテリングは、巨匠だからこそなせる業です。しかも監督は最もコミカルな(皮肉屋な)役柄を自分で演じていて、ローマという都市に対する並々ならぬ愛情が伺えます。

本作が気に入った方はぜひ『それでも恋するバルセロナ』、『ミッドナイト・イン・パリ』、『恋のロンドン狂騒曲』もご覧になってみてください。

パドマーワト 女神の誕生

poster_image(C)Viacom 18 Motion Pictures (C)Bhansali Productions

インド

パドマーワト 女神の誕生

 

Padmaavat

監督:サンジャイ・リーラ・バンサーリー
出演:ディーピカー・パードゥコーン、ランヴィール・シン、シャーヒド・カプールほか
日本公開:2019年

2019.6.5

700年の時を越え現代に甦る、伝説の王妃 ラーニー・パドミニー

13世紀末、シンガール王国(現在のスリランカ)の王女パドマーワティは、西インドの小国・メーワール王国の王ラタン・シンと恋に落ち、メーワール王国の妃となる。

メイン

その頃、北インドでは叔父を暗殺した若き武将アラーウッディーン・ハルジーがイスラム教国の王(スルタン)となり、その影響力を広げていた。絶世の美女パドマーワティの噂を聞きつけたアラーウッディーン・ハルジーは、メーワール王国に兵を送るが、ラタン・シンの抵抗によって彼女の姿を見ることさえ許されなかった。

サブ㈪

どうしてもパドマーワティを自分のものにしたいアラーウッディーン・ハルジーは、ラタン・シンを拉致して、城にパドマーワティをおびき寄せようと画策する・・・

インド映画史上最高額の製作費がかけられた本作は、本当に13世紀当時にいるかのような気分に観客を浸らせてくれます。たとえば衣装は、限られた歴史資料を研究しつくした一流デザイナーが、想像力によって形作っていったそうです。さらに、衣装を飾る宝石はイミテーションではなくすべて本物とのことで、「現代の叡智と歴史のハイブリッド」が力強いイメージの数々を生み出しています。

サブ㈫

物語の舞台はインド北西部のラジャスタンで、実際にラジャスタン州の州都・ジャイプールにあるジャイガル城(世界遺産アンベール城をさらに上ったところにあります)でもロケが行われました。

衣装だけでなく、細部への徹底的なこだわりによって時間を越えた旅を観客にさせてくれる本作ですが、「歴史描写が誤っている」として、監督やパドマーワティを演じたディーピカー・パードゥコーンが保守的な勢力から脅迫されたり、撮影が妨害されたり、公開が度々延期になったりと、インド国内で様々な騒動が起きました。

その原因となった描写に関しては、物語の結末に触れることにここでは言及しないことにしますが、荘厳で圧倒的な「美」の描写は、世界遺産級と言っても過言ではないでしょう。

サブ㈰

インド映画界の力が総結集された『パドマーワト 女神の誕生』は、6月7日(金)より新宿ピカデリーにてロードショーほか、全国順次公開。その他詳細は公式ホームページをご覧ください。

 

プシュカル・メーラと色彩のラジャスタン

インド北西部に位置するラジャスタン州。数ある年中行事の中でも最も賑やかなプシュカル・メーラとラクダ市を見学します。地元の方と一緒に、熱気あふれるお祭りをお楽しみください。

猫が教えてくれたこと

6d5bc78ce070cb0a(C)2016 Nine Cats LLC

トルコ

猫が教えてくれたこと

 

Kedi

監督:ジェイダ・トルン
出演:イスタンブールの猫たち
日本公開:2017年

2019.5.8

ネコは全てお見通し―ネコ目線で描く
大都市・イスタンブールの人間模様

ヨーロッパとアジアの文化をつなぐトルコ・イスタンブール。「文明の十字路」とも呼ばれるこの街で暮らす野良猫たちは、食料をもらったり寝床を与えてもらうかわりに、人々に生きる希望や癒やしを与え、自由気ままに暮らしている。映画クルーは猫目線のカメラアングルを多用して、猫たちを追いかけながら、イスタンブールに暮らす人々の気持ちと都市の輪郭を明らかにしていく・・・

ペットを飼っている方なら当たり前のことかもしれませんが、人間は動物を飼育するだけでなく、人生において大切なことを教わることがあります。
「落ち込んでいる時、猫に元気をもらった」
「この猫がいなかったら、自分はどうなっていたことか・・・」
というようなコメントが、本作にも多く出てきます。

本作に収められているコメントで特にユニークなのは、「神の意志」が反映された動物として、猫を見ている人がイスタンブールをには多いことです。たしかに、古代エジプトではバステト神と呼ばれる猫の女神がいましたし、日本にも猫を祀っている神社がいくらかあります。

なぜ神として祀られるのか?
そうした「神性」のヒントとなるような猫の行動が、本作ではとらえられています。

人間の気持ちをわかっているような行動、距離のとり方、そして時には空洞となって人間の気持ちを受け止める包容力・・・
猫を愛する人がいつの時代も止まない理由が、本作をみるとわかります。

私は一度イスタンブールを訪れたことがありますが、やはり町中で猫の写真を多く撮ったのをよく覚えています。猫目線で切り取られたイスタンブールということで、現地に行ったことがある方も、新鮮な旅情を掻き立てられるような景観が映画の中に広がっています。

アメリカでは1館の公開からスタートして130館まで拡大し、異例のヒットを記録した本作は、気軽に鑑賞できつつ、思いがけない切り口で深い感動を与えてくれる一作です。

古都イスタンブール滞在

古都イスタンブールに4連泊。
ビザンツからオスマンまで、帝国の興亡を見つめてきたこの街に滞在し、 刻まれた歴史の中を歩く。

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イスタンブール

ボスポラス海峡を隔て、アジアとヨーロッパにまたがるトルコ最大の都市。首都はアンカラに遷都されましたが、現在でもトルコの文化、商業の中心です。主な見所はヨーロッパ側にあり、金角湾を挟み新市街と旧市街に分かれます。

ポルト

90d8210a3d43cd11(C)2016 Bando a Parte – Double Play Films – Gladys Glover – Madants

ポルトガル

ポルト

 

Porto

監督:ゲイブ・クリンガー
出演:アントン・イェルチン、ルシー・ルカース
日本公開:2017年

2019.2.13

港町・ポルトですれ違う、恋人たちの記憶

ポルトガル第二の都市・ポルト。家族に見放されてしまった26歳のアメリカ人ジェイクと、恋人と一緒にこの地にやってきた32歳のフランス人留学生マティは、考古学調査の現場でお互いの存在を意識する。カフェでマティを見つけたジェイクは彼女に声を掛け、その後一夜を共にする。しかしマティには恋人がいた。一夜の出来事を信じたいジェイクと、彼とは違う未来を見るマティ。あるひと時の、異なる2つの見え方が交錯していく・・・

本作の映像はフィルムとデジタルカメラ両方で撮影され、さらにシーンごとに違うアスペクト比(縦横比)が採用されています。「旅と映画」では「旅」に重きをおいて極力映画の専門用語を使わないようにして作品を紹介していましたが、本作については物語の理解につながるので専門知識を織り交ぜて紹介したいと思います。

まずはフィルムとデジタルの違いについてです。一番大きな違いは、「記録可能なのが一度限りかどうか」という点です。デジタル撮影ではメディアがSDカード等に記録され、すぐに消したりコピーしたりできます。フィルム撮影はフィルムという「物」に焼きけられる、一度限りの記録です。

次にアスペクト比についてです。現在のデジタルテレビは16:9というサイズですが、ビスタサイズやスコープサイズなどといった様々なアスペクト比の中間ということで16:9が採用されました。一般的に「映画っぽい」アスペクト比として認識されているのはスコープサイズなど横長のものです。

横長の画面は人間の視野に近く、「見る人」にとって心地よいです。本作ではそこからアスペクト比が狭まる(厳密に何対何かはわかりませんが)場面があります。私は何作かブラウン管テレビ時代に主流だった4:3というサイズ(スタンダードサイズ)で映画を撮ったことがあり、撮ったのは子どもが主人公の作品ですが、子どもの視点(のめり込むような好奇心)や記憶を表現するのに4:3は適していると私は考えています。本作でも、狭めなアスペクト比は過去を表現するのに用いられています。

こうした撮影方法がラブストーリーという枠の中でユニークに機能した『ポルト』。美しい町並みのポルトへの旅情を掻き立てる秘密を、技術面から少しでもご紹介できていれば幸いです。

ポルトガル人の道から聖地サンティアゴへ

ポルトガルから陸路で国境を越えサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す。

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ポルト

港湾都市ポルトは、リスボンに次ぐポルトガル第2の都市です。有名なポートワインは、この町から18世紀にイギリスに大量に輸出され、広く知られることとなりました。中世の面影を残す美しい旧市街は、「ポルト歴史地区」として世界遺産に登録されています。

セメントの記憶

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レバノン

セメントの記憶

 

Taste of Cement

監督:ジアード・クルスーム
出演:シリア人移民・難民労働者たち
日本公開:2019年

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きらびやかなベイルートにそびえ立つ、
「透明な」ランドマーク

舞台はレバノンの首都・ベイルート。かつて「中東のパリ」とも呼ばれたベイルートは、1975年から15年続いた内戦を乗り越え、経済成長の真っ只中にある。

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地中海沿いのにぎやかな通りを望む高層ビルの建設現場で、黙々と働くシリア人移民・難民労働者たち。勤務中も勤務終了後も、彼らは口を開くことなく、心の殻に閉じこもったまま過ごしている。レバノンへ亡命したシリア人監督 ジアード・クルスームは、彼らの心の内を想像する・・・

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カメラは映画において観客の「目」となりますが、そこに映らないものがあります。それは、匂いです。映らないので、映画という言語によって「匂わせる」しかありませんが、本作は全編に渡ってセメントの無味乾燥とした匂いが(無味乾燥という言葉と矛盾するようですが)強烈に香ってきます。

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私は本作を見ながら、インドのアジャンタ石窟寺院・エローラ石窟寺院を訪れたときに感じた不思議さを思い出しました。石窟寺院とは、建てたのではなく、岩壁や丘陵をくり抜いて作った寺院です。特にエローラで一番有名なカイラサナータ寺院は圧巻で、8〜9世紀頃に100年をかけてつくられたと言われています。立派な寺院は残っていますが、それを作った何千・何万人の心の内は想像するしかありません。

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「何のために?」と労働者が考えた時、神という力強い存在が当時はあったのでしょう。1000年以上前につくられたとは思えない寺院ですが、むしろ、現代人には再現不可能なのではないかと思いました。同じ程度のものつくりきるために、一致団結することができないからです。

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本作はそんな複雑な感覚を観客に味あわせてくれます。ベイルートの絶好の立地に、見張り台のように建つビル。その中で何が起こっているのか、人々は考えずに通り過ぎていきます。まるで存在しないかのように扱われている労働者たちが、そこに意思なくビルを建てていきます。「何のために?」という思いが欠落して建てられたビルは、どんな未来をつくりだすのでしょうか。

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監督はその未来を、故郷の土をなくしても依然として心にあり続ける、破壊しつくされても立ち上がろうとする、郷愁の念に託しました。シリアの惨状も劇中で多く示されますが、本作の詩的な映像の連なりは負のイメージではなく、レバノンやアラブの歴史・風土の魅力について目を向ける機会にもつながるはずです。

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『セメントの記憶』は、3/23(土)よりユーロスペースほか全国順次ロードショー。詩的な雰囲気が感じられる予告編はこちら。その他詳細は公式ホームページをご覧ください。

荘厳のバールベック レバノン一周

古代遺跡から緑豊かな自然まで、多様な見どころが点在しているレバノン。その魅力を余す所なく楽しんでいただく8日間です。国土が岐阜県ほどの大きさしかないため、移動距離も少なくゆったりとした日程です。

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ベイルート

レバノンの首都で、経済・政治の中心地。人口は約180万人。住民はキリスト教徒、イスラム教徒が共存しており、文化的に多様な都市の一つともなっています。1975年から15年に渡る内戦によりイスラム教徒地区の西部と、キリスト教徒地区の東部に分割されています。

そして人生は続く

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イラン

そして人生は続く

 

And Life Goes on…

監督: アッバス・キアロスタミ
出演: ファルハッド・ケラドマンほか
日本公開:1993年

2019.1.30

人生という旅、映画という旅・・・旅の真髄、ここに極まれり

1990年、大地震がイラン北部を襲った。アッバス・キアロスタミ監督作『友だちのうちはどこ?』の撮影地は震源地のすぐ近くだ。『友だちの〜』の主役・ババク・アハマッドプールやその友人たちの安否を気遣い、地震の五日後、監督(キアロスタミ監督を演じる役者)は息子・プーヤとともに撮影の行われたコケール村に向かう。道中、多くの人々が壊滅した町で瓦礫を片づけている様子を目の当たりにしつつ、監督はコケール村へ向かっていく・・・

本作は、「旅と映画」の連載が始まった当初から書きたかった作品だったのですが、入手困難なため書くことができませんでした。近年、名作のデジタルリマスターが進み、2016年に亡くなったアッバス・キアロスタミ監督の作品もリマスター版がソフト化されました。

なぜ本作について書きたかったかというと、「旅」の真髄が映画に映っているからです。あらすじにも書いてある通り、映画は監督の実際の境遇をフィクション化しています。フィクションなのですが、物語の出発点はドキュメンタリーなのです(と、説明することが無謀なほど、フィクションとドキュメンタリーが入り混じっています)。

本作を見ると、日本とイランの自然観があまりに似通っていることに驚きます。それは、地震の後という状況によってより顕著になります。自然は人間の喜怒哀楽を知らないと言わんばかりに、大地震の後にもその荘厳さを変えません。そして、人間はただその前に立ち尽くすしかないのです。

人生と自然、どちらにも共通している要素を挙げるとすれば、それは「続く」ということでしょう。映画はいつか終わりますが、その余韻は心の中で続きます。人生もいつか終わりますが、それは自然というより大きな懐の中で続きます。そうした自然観は、車で目的地に近づいていく「旅」という最小限の設定の中で、力強く示されます。監督の旅は、映画が進むにつれて「終わり」の気配がしてくるからです。

本作の映像で特に記憶に残るのは、ジグザグな道を行く監督の車を、途方も無く遠くに置いたカメラから撮ったシーンです。インド・パキスタン・ブータンの崖っぷち、チベットの荒野、バングラデシュのマングローブ林・・・ツアー中にバスで様々な場所を走りながら、私は頻繁にカメラを遠くに置いたら、自分たちのバスがどう見えるか想像していました(遠くから撮ることを、映画用語で「ロングショット」といいます)。本作を見て、皆さんの旅にもロングショットのカメラの視点を取り入れてみてはいかがでしょうか。