タシケント・サマルカンド・シャフリサブス・ブハラ・ヒヴァ等、ウズベキスタンの見どころをご紹介

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ウズベキスタン

ソビエト崩壊後、独立した中央アジアの国々の中で一番観光に力を入れている国、ウズベキスタン。ソビエト時代には荒れ果てたままだったモスクや神学校は、当時の技術を持つ職人の手によって見事に蘇りました。 また、14世紀に中央アジア一帯の覇者となったチムールが出身した地でもあり、チムールや彼の子孫が作った建築物が、今なお当時の栄華を物語っています。そして、ソグディアナと呼ばれた肥沃な地から、はるばる中国まで隊商を連ねたソグド人の住んだ地でもあります。

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タシケント

ウズベキスタンの首都で旧名シャシュ。「石の街」を意味するこの街は中国の文献で「石国」という名でも記録されています。1966年の大地震によって、街の大部分は破壊され、ソビエト時代に新しい街が形成されましたが、旧市街には古きシルクロードの面影を残す建物が残っています。

○ウズベキスタン歴史博物館

テルメズのファヤズ・テペから出土した三尊仏など、ウズベキスタン南部の仏教遺跡や、ソグド人に関する出土品が数多く展示されています。

○チョルスー・バザール

「四方向」と言う意のバザール。まさにタシケントの中心で、中央アジアの活気みなぎる所です。また、伝統工芸のスザニなどを売るお土産物屋も軒を連ねています。

○ナヴォイ劇場

1947年完成のオペラ・バレエ劇場。この劇場は、第2次世界大戦中タシケントに抑留された日本兵が建築に強制労働として参加されました。勤勉に工事に従事した日本兵のおかげで、1966年の大地震でも全く損傷がありませんでした。この地で眠った日本兵の方々の墓地も、タシケントの郊外にあります。

○チムール像

ウズベクが生んだ英雄チムール。チムール広場にある馬上の像です。
  • ウズベキスタン歴史博物館
  • ファヤズ・テパで発掘された三尊仏像
  • チョルスー・バザール
  • ナヴォイ劇場
  • 記念碑(ナヴォイ劇場)
  • チムール像

サマルカンド

建物の青いタイルの色から「青の都」とも呼ばれるサマルカンドは、中央アジア最古の都市で2500年もの歴史を持つ美しい街です。紀元前4世紀にアレキサンダー大王がこの地を訪れ、その美しさに驚嘆したといわれています。1220年のチンギス・ハーンの破壊によって、古いサマルカンドは今はアフラシアーブの丘の下に眠っていますが、14世紀に出現したチムールは、この地をチムール帝国の首都として復興し、一大文化都市としました。
  • 3つの壮麗なメドレッセが立ち並ぶかつてのサマルカンドの中心地レギスタン広場
  • 「シェルドル・メドレセ」イスラムでは珍しい人面と動物をモチーフにした装飾で有名です
  • メドレセ内の土産物屋、ウズベク族の刺繍布スザンニや陶器が鮮やかに並べられています
  • 古の伝説残るシャーヒジンダ廟
 

○レギスタン広場

砂場という意のレギスタン広場。その美しさから、ウズベキスタンの代名詞と言っても過言のない場所です。 モンゴル軍に破壊された後、サマルカンドはこのレギスタン広場を中心に数多くの建物が建設され、新たな栄華の時代を迎えます。チムールの孫、ウルグベクの時代、ここには3つのメドレッセ(神学校)が建てられます。一つは「ウルグベクのメドレッセ」で、天文学者でもあった彼のデザインで、正面には星の文様が描かれています。 「シェルドル・メドレッセ」は、黄鹿を追うライオンの動物争闘図が描かれています。最後に造られた「ティラカリ・メドレッセ」は、金で覆われた内部が美しいメドレッセです。
 

○グル・エミル廟

現在のカザフスタンのオトラルで没したチムールは、ここグル・エミル廟に眠っています。 チムールの他、ウルグベクを始め彼の息子達や、チムールを支えた将軍も共に眠っています。ソ連時代の調査により、埋葬された遺体からチムールは言い伝えの通り片足が不自由だったこと、ウルグベクは首をはねられたことが分かりましたが、生前の「私の墓を暴くと重大なことが起こる」というチムールの遺言通り、調査の数日後にドイツ軍がソ連に侵攻して第二次大戦が勃発しました。 中央アジアの覇者の眠る場所にふさわしく、サマルカンド・ブルーのドームに64本もの溝が刻まれた壮麗な建物です。
 

○シャーヒジンダ廟

「永遠に生きる王」という意味の聖地。もともと異教徒に殺されたイスラムの聖人で、預言者マホメットの従兄・クサム・イブン・アッバースの廟がある所で、はねられた自分の首を自ら持って井戸の中に消えたと言われています。 後年、周辺にチムールの親族の廟が建てられ、美しいタイルで装飾された数々の建物が立ち並びます。 現在でもクサム・イブン・アッバース廟に詣でる巡礼者の絶えないところです。
 

○サマルカンドのバザール

色とりどりの香辛料、パン、野菜、果物が並び、ウズベク人男性が被るペイズリー模様の民族帽子も売られています。バザールを歩くと、「見ていけ」「食べてけ」と人なつっこい売り子の声がかかります。
 

○アフラシアブの丘

サマルカンドは紀元前7世紀から町が造られ、マラカンダと呼ばれた紀元前に4世紀には、アレキサンダー大王の軍に征服されます。7~8世紀には、中央アジア一帯から中国まで足を伸ばしたソグド人の町となり中国の文献では「康国」という名で登場します。しかし1220年、サマルカンドはモンゴル軍の前に塵と化します。 このアフラシアブの丘の下には、モンゴル破壊以前の古代サマルカンドの町が眠っており、隣接する博物館には、アフラシアブの丘のあった裕福なソグド人の家から出た鮮明な壁画が展示されています。

シャフリサブス

ザラフシャン山脈を遠望する、英雄チムールの故郷。サマルカンドとブハラの間に位置しています。 「緑の街」という意味のシャフリサブスには、アクサライ宮殿、チムールの親族の廟やモスクなど、チムールの残した建築群が残り、 2000年に世界遺産に登録されました。

○アクサライ宮殿

チムールが建てた宮殿。当時は50m以上の高さがあったと言われ、最上階にはプールまであったと伝えられています。中央アジアを訪れたスペインの使節団が当時の建築水準に驚嘆したという記録が残っています。 現在も宮殿の上まで登ることが可能で、上からは遠くザラフシャン山脈を望むことができます。

○チムール像

1336年、この地に生まれたチムール。チムールの像はウズベキスタンに3つあり、このシャフリサブスのものは起立した像、タシケントのものは馬上の像、サマルカンドのものは椅子に座した像です。オスマントルコ等、当時の大帝国を撃破し、一大帝国を築いたチムールは、現在でもウズベキスタンの英雄として人々から称えられています。
  • アクサライ宮殿
  • アクサライ宮殿
  • チムール像

ブハラ

ブハラはソグディアナの西端に位置するオアシスで、5世紀の唐の文書では「不花刺」と書かれたソグド人の街でした。 ソグド人は中央アジア一帯の隊商で名を馳せた民族で、世界遺産に指定されたブハラ旧市街は、当時の隊商都市の面影をそのまま残しています。また、砂漠を行く隊商の灯台の役割をした巨大なカリヤン・ミナレットが、今もブハラの街を見下ろすようにそびえ立っています。
  • ミル・アラブ・メドレッセとカリヤン・ミナレット
  • 丸屋根市場タキ
  • 民族舞踊
 

○アルク

ブハラ・ハーン国の歴代の王が住んだ宮殿。19世紀後半にはロシア軍の空爆を受け、最後の王はアフガニスタンへ逃れます。 内部には、謁見の間、王の使ったモスクなどがあり、城からはブハラの町が見下ろせます。
 

○ナディール・ディバンベキのメドレッセ

世界遺産に登録されているブハラの旧市街は見所が詰まっています。このナディール・デバンベキのメドレッセは、イスラムには珍しい鳳凰の絵が描かれています。もともと隊商が泊まるキャラバン・サライとして建てられたといわれているこのメドレッセの内部では、現在民族舞踊ショーが行われます。
 

○ミル・アラブ・メドレッセ

宗教を否定したソ連時代でも、イスラム教の教えが説かれていた数少ない神学校。現在でも中央アジア各地からの神学生が学んでいます。 もともとは、イエメンから来た聖者が建てたといわれています。
 

○丸屋根市場タキ

古くから隊商都市として栄えたブハラ。ラクダの背に乗りはるばる運ばれた荷は、この丸屋根市場タキで商いされました。灼熱の太陽から避けるため、このような丸屋根のアーケードが発展したと言われています。 現在は、多くの土産物屋が立ち並んでいますが、昔の商人達の喧騒が、今でも聞こえてきそうな場所です。
 

○チャール・ミナル

他の建築物とは異なるユニークな形をした建物。裕福な人が四人の娘にちなんで四本のミナレットを持つ建物を造ったといわれています。
 

○マゴキ・アッタリ・モスク

ブハラの古い歴史を物語る建物。もともとはゾロアスター教の寺院として建てられましたが、後日モスクに改装されました。内部には、古代のブハラの地層がむき出しになっており、現在のブハラの地面の高さとの違いがわかります。 建物の壁には今でも、ゾロアスター教の四大要素の「水・火・風・土」を表す文様が描かれています。
 

○イスマイル・サーマーニー廟

現存する中央アジア最古の建築物。紀元9世紀にブハラを首都としたサーマーン朝の始祖・イスマイル・サーマーニーの廟です。 ほぼ立方体の建物ですが、表面はレンガの組み方だけで何通りもの装飾を施しています。チンギス・ハーン襲来の時は、すでに土に埋もれていて破壊を免れました。
 

○ウルグ・ベク・メドレッセ

チムールの孫のウルグ・ベクは、このブハラにも神学校を建設しています。 彼の建築物はサマルカンドに多いのですが、ブハラに残るのはこの一箇所です。 この神学校の正面に、アブドル・アジズ・ハーンのメドレッセが建っており、二つの壮大な神学校が向き合っています。
 

○ボロ・ハウズ(ラビハウズ)

ハウズとは「池」の意味。かつてのブハラには、用水のためと涼を取るため、このような池が沢山ありました。ザラフシャン川から運河で水を引き、町中に水路を張り巡らしていました。

ヒヴァ(ヒワ)

1592年、ホラズム王国の王アラブ・ムハマンド・ハンによって首都とされ、1920年にソビエト政権が樹立されるまでヒヴァ・ハーン国の王都として栄えました。 外敵の侵略を防ぐための城壁で守られ、内城イチャン・カラは、内城そのものが世界遺産に指定され、当時のメドレッセ(神学校)、アルク(城)など様々な建物が残っています。
  • ヒヴァの夜明け
  • 未完のミナレット「カリタ・ミナル」
  • イチャン・カラ内のお土産店にて
 

○カリタ・ミナル

ヒヴァの西門をくぐると最初に目に入ってくるのがこのカリタ・ミナルで、別名「未完のミナレット」。 手前の建物は、このミナレット建設を命じたムハンマド・アミン・ハーンのメドレッセで、現在はホテルになっています。
 

○イスラム・ホジャ・ミナレットとミドレッセ

ヒヴァの中で一番高いミナレットがこのイスラム・ホジャのミナレットです。イスラム・ホジャは、ヒヴァ・ハーン最後の王イスフェンディヤル・ハーンの宰相です。 現在ミナレットは登ることができ、上からは世界遺産のヒヴァのすべてを見渡すことができます。
 

○タシュ・ハウリ宮殿

歴代のハーン(王)の暮らした宮殿アルク。内部は美しいタイルで装飾され、テラスのような吹き抜けのあるアイワーンと呼ばれる中央アジア独特の建築様式になっています。アイワーンの柱は一本のニレの木で作られ、美しい彫刻が施されています。
 

○パフラワーン・マフムド廟

ヒヴァの守護聖人パフラワーン・マフムドの廟。もともとレスラーでもあり詩人でもあった彼は、試合で稼いだお金をヒヴァの貧しい人に施したといわれており、今でも彼の廟を訪れる人が絶えません。彼がインド遠征で持ち帰った木が、下のジュマ・モスクの中にあります。
 

○ジュマモスク

現存するヒヴァの建築物で最古のモスクがこのジュマ・モスクです。イスラム教の聖日金曜日からこの名前が付けられました。総数212本の柱が並び、古くは10世紀の柱もあるといわれています。
 

○西門

ヒヴァの玄関とも言える西門。ここをくぐると、ヒヴァの目抜き通りになり、所狭しと建築物が立ち並びます。ヒヴァ観光は徒歩になり、ここでバスを降りて歩いて観光します。