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ブータンみどころガイド

ブムタン

Bumthang

「ブムタン」とは街の名前ではなく、チュメ、チョコル、タン、ウラという4つの谷が集まるこの地域の総称です。その4つの谷の中心地がチョコル。そしてチョコルの谷に中央ブータンの中心地・チャムカルの街があります。この街は、一般的には「ジャカル」と呼ばれていますが、正確には「ジャカル」はゾンの名前です。ブムタン地方は平均して標高約2,000mほどの高地。パロやティンプーでは稲作をしていますが、この地域はは寒冷な気候から稲作が定着せず、ソバや麦作り、ヤクや牛の放牧が中心となっています。
ブータンに最初に仏教が伝わったのはこのブムタン地方。もともとは、この「ブムタン」がブータンの宗教の中心地だったのです。

ウォンディチョリン宮殿/ Wangdu Choling

1856年に初代国王の父親であり、トンサ・ペンロプ(東ブータン統括の長)であったジグミ・ナムギャルによって建てられた宮殿。現在では廃屋となっていますが、第4代ジグミ・シンゲ・ウォンチュクも実際にこの場所に住んでいた時期がありました。実際に王族が住んでいた部屋のドアの上部にはブータンのシンボルである龍が描かれており、そのドアへと続く階段の下には鉤十字の模様が見られます。宮殿の敷地のすぐそばに外資のアマンリゾートというホテルが建てられているのも変わりゆくブータンを象徴しているような気がします。

ウォンディチョリン宮殿の入口
鮮やかな彩色が残る宮殿内部

ジャカル・ゾン/ Jakar Dzong

1646年ブータン統一の祖・シャプドゥン・ンガワン・ナムギャルの命により建立が始まりました。当初は別の場所に建てられる予定だったそうですが、いよいよ建設工事が始まろうとする時に、一羽の白い鳥が空を横切ったそうです。その「白い鳥」が吉兆の証しであるということで、今のこの場所に移され、以降このゾンは「白き鳥の城」と呼ばれるようになったのです。地震等の影響で何度か修復が行われていますが、現在の姿は即位前の初代国王ウゲン・ウォンチュクが再建した物になります。

ジャカル・ゾンの内部

クジェ・ラカン/ Kurjey Lhakhang

ブータンに仏教を伝えたグル・リンポチェは8世紀にこの地を支配していた王様の招きによりこのブムタン地方にやって来ました。グル・リンポチェはこの場所で深い瞑想に入り、その瞑想した場所には影(クジェ)が残ったそうです。ここはその影を囲うようにして建てられた僧院。先代王のお妃によって作られた108の小さなチョルテンが周囲を取り囲み、3つの大きなお堂が並んでいます。ブータン王家はこのクジェ・ラカンに深く帰依しており、第3代国王の葬儀はこの場所で執り行われました。

3つの大きなお堂が並ぶ

ジャンぺ・ラカン/ Jambay Lhakhang

パロのキチュ・ラカンと共にブータンで最古の僧院。7世紀に初めてチベットを統一したソンツェン・ガンポ王によって建立されたといわれています。当時チベット圏に大きな力を持っていた悪魔の力を抑えるために、王はその悪魔の体の108の場所に寺院を建立し仏教の布教に努めたそうです。内部拝観には今でも許可が必要なこの僧院。本堂のご本尊はこの僧院の名の由来となったチャンバ(弥勒菩薩)像、その両脇を過去仏と未来仏が守っています。また、毎年秋には中庭でドゥプ祭というお祭りが繰り広げられます。

ジャンぺ・ラカンのお堂
ドゥプ祭の様子

メンバル・ツォ/ Mebar Tsho

ニンマ派には「埋蔵法典(テルマ)」の教えがあります。開祖グル・リンポチェが密かに地中に封印していたありがたい経典を、後の代に修行を積んだ高僧が発見するという教えで、まさにこの地でそのテルマが発見されました。「炎の淵」という意味のこの場所は、ペマ・リンパが水底からその経典や宝物を探した場所です。ちなみに、この埋蔵法典を発見した者はテルトンと呼ばれ、周囲の人々から尊敬を集めることになります。

タルチョとともに木の橋がかけられている
たくさんの巡礼者が訪れる聖地
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