jimbo のすべての投稿

裸の島

_

日本(瀬戸内海)

裸の島

 

監督:新藤兼人
出演: 乙羽信子、殿山泰司ほか
公開:1960年

2021.4.21

瀬戸内海・宿禰(すくね)島の日常とコロナ禍

瀬戸内海の孤島、広島県・宿禰(すくね)島に、中年の夫婦と二人の子どもが生活している。島には水がなく、畑へやる水も飲み水も近隣の島から船で桶に入れて運ぶ。夫婦の仕事の大半は、この水を運ぶ労力に費いやされている。そんな淡々とした日常の中にも、幸福や喜びがある。ドラム缶風呂に入るひととき、釣りあげた鯛を町で金にかえて日用品を買うひととき・・・。しかし、ある暑い日の午後、突然子どもが発病してしまう。

本作は、いわゆる「名画」とカテゴライズされる日本映画の中で、最も実験的でありながらも世界的な知名度を誇る一作です。モノクロ、セリフなし、効果音と音楽のみで構成、淡々としたストーリー。そう聞くと退屈そうに聞こえてしまいますが、私はコロナ禍になってしばらくしてから、無性に本作が観たくなって10年ぶりぐらいに再鑑賞しました。

なぜコロナ禍と本作が関係あるかということですが、外出の自粛を要請され、スーパーマーケットやコンビニや散歩など限られた目的でしか出歩けないという状況下で、コンビニから家に向かって歩いているときに本作のあるシーンをふと思い出しました。主人公たち(父親・母親)が水の入った重い桶を肩にかけて、炎天下のあぜ道を歩くシーンです。私が持ち運んでいたのは桶に入った水には到底及ばない重量の荷物でしたが、そのほかに、これだけ広い世界が広がっているのにたった数箇所との間しか行き来できないことに対する不可思議さのようなものを抱えていました。

作品の舞台になっているのは瀬戸内海の島で、雄大でありながらも時に人間に牙をむく厳しさを持った自然に、登場人物たちは囲まれています。一方、コロナ禍の私を囲んでいたのはウイルスです。ウイルスは自然ではありませんが、私たち人間とは違い生物ではなく、意思を持っていないという点では自然と似通っています。

あらすじに書いている通り、本作では子どもが病気に苦しめられます。病気にかかっても、自然はそんなことは知らずにいつも通り流転していきます。私がコロナ禍の中で歩みをすすめる中で、なぜ『裸の島』がふと観たくなったのか・・・・・・それは、本作で描かれている「意思にあふれた人生」と「 意思を持たない自然」との圧倒的なコントラストに、助けを求めるような気持ちだったのだと思います。実際、本作を観た後からは、無味乾燥に思えたすぐ近所での買い物からの帰り道を味わい深く歩めるようになりました。

ちなみに、ロケ地の宿禰島は2013年に競売にかけられ一度一般の人が落札した後、新藤兼人監督の二男が買い戻し、広島県・三原市に寄贈されました。また、2012年に亡くなった新藤兼人監督の遺骨は、翌年・一周忌のときにこの宿禰島界隈に散骨されたそうです。

埋もれ木

143799_01

日本(三重・群馬)

埋もれ木

 

監督:小栗康平
出演: 夏蓮、浅野忠信、岸部一徳ほか
日本公開:2005年

2021.4.14

日本人が日本の秘境を旅すること
地中から埋もれ木が掘り起こされること

ある田舎町。高校生のまちは女友達と短い物語をつくり、それをリレーして遊ぶことを思いつく。スタートは町のペット屋さんが”らくだ”を買って、”らくだ”が町にやって来たという夢物語。彼女たちは次々と、そして唐突に物語を紡いでいく。

一方、同じ町の中で、ゲートボール場の崖が崩れて“埋もれ木”と呼ばれる古代の樹木が地中から姿を現す。夢と物語と現実とが少しずつ重なり始め、ファンタジーな世界が開けていく・・・

ちかごろ西遊旅行のホームページを見ていて、魅力的な国内ツアーがどんどん増えていっていることに気づきました。「日本にはこんな場所もあったのか」と驚くようなツアーが多くありました。
そこで、昨年も邦画をいくつかご紹介しましたが、まだご紹介していなかったこの『埋もれ木』という作品について書きたいと思います。

埋もれ木は埋没林ともいわれ、古代の森が火山噴火によってそのまま地中に埋もれたものです。この映画で描かれる埋もれ木という存在は、個々人が持つ思い出・記憶などのストーリーの譬喩であると私は解釈しています。

住むにしても旅するにしても、人が立っている大地というのは(たとえ埋立地であっても一面コンクリートであっても)何かしらの記憶をもっています。ときに「風土」と呼ばれたり、「伝統」と呼ばれたりして、それらは気まぐれなタイミングで人の前に立ち現れ、思考や記憶と交差します。

海外ではなく日本の秘境を旅する楽しみは、そうした気まぐれな邂逅(セレンディピティ)の確率の高さにあるかもしれません。2017年にノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの最近のインタビューでこのようなコメントがありました。

俗に言うリベラルアーツ系、あるいはインテリ系の人々は、実はとても狭い世界の中で暮らしています。東京からパリ、ロサンゼルスなどを飛び回ってあたかも国際的に暮らしていると思いがちですが、実はどこへ行っても自分と似たような人たちとしか会っていないのです。
私は最近妻とよく、地域を超える「横の旅行」ではなく、同じ通りに住んでいる人がどういう人かをもっと深く知る「縦の旅行」が私たちには必要なのではないか、と話しています。自分の近くに住んでいる人でさえ、私とはまったく違う世界に住んでいることがあり、そういう人たちのことこそ知るべきなのです。

この言葉を読んだときに、日本人が国内の秘境を旅するというのは、「縦の旅行」と「横の旅行」のメリットを兼ね備えているのではないかと思いました。

私は最近ご縁あって奄美大島でドキュメント映像を撮らせてもらっているのですが、土地土地にどんな埋もれ木(ストーリー)が埋まっているかは、島にずっと住んでいる方々のほうが逆にわからなかったりします。そこに「横の旅行」的なモチベーションで旅行者や移住者が来て、同じ日本人としての「縦の旅行」的な好奇心で旅して人々や風土・伝統と触れあう。そうすると、想像もしていなかったようなストーリーがゴロッと転がり出てくる。

そういう瞬間に立ち会えることがドキュメントを撮っていて本当に面白いなと思う(一部こちらからご覧いただけます)のですが、『埋もれ木』という映画が描こうとしているのも根本的には全く同じに思えます。個々人のストーリーがゴロッと掘り起こされて、他者と分かち合われる。この素晴らしさを小栗康平監督は描きたかったのだと、私は解釈しています。

『埋もれ木』は三重や監督の故郷・群馬の風土が土台となっていますが、観客の想像力を縦横無尽な旅に連れて行ってくれる一本です。

ペトルーニャに祝福を

PETRUNYA_B5_H1_N_ol(C)Sisters and Brother Mitevski Production, Entre Chien et Loup, Vertigo.Spiritus Movens Production, DueuxiemeLigne Films, EZ Films-2019 All rights reserved

北マケドニア

ペトルーニャに祝福を

 

Gospod postoi, imeto i’ e Petrunija

監督: テオナ・ストゥルガル・ミテフスカ
出演: ゾリツァ・ヌシェヴァ、ラビナ・ミテフスカほか
日本公開:2021年

2021.4.7

ぽっちゃり女性の心の中にこそ、神あり ― 北マケドニアの伝統と現代化

北マケドニアの東部にある小さな町・シュティプに暮らす32歳のペトルーニャは、美人でもなく、太めの体型で恋人もおらず、大学で良い成績で歴史学を修めて卒業したのに、仕事はウェイトレスのアルバイトしかない。

ある日、親に促されて仕方なく受けた面接でセクハラを受けたうえに不採用になったペトルーニャは、惨めな気持ちで家路につく。

sub

そこで偶然、ペトルーニャは地元の伝統儀式に遭遇する。「司祭が川に投げ入れる十字架を手にした者には幸せが訪れる」という由緒を持つ、女人禁制の儀式を目の前にして、ペトルーニャは本能的に十字架を追い求める。

sub7

いつの間にか十字架を手にしていたペトルーニャは、儀式に参加していた男たちから猛反発を受け、あろうことか十字架を持ったまま逃走してしまい、警察に追われる身となってしまう・・・

sub4

北マケドニアの作品を観る機会はそうそうありません。私はマケドニアやバルカン半島の民族音楽に興味があったので大学のときにいくらかマケドニアについては調べたことがありましたが、初めてマケドニアの映画を観たのは2018年で、韓国・釜山で自分の作品が上映されたときに併映されていたマケドニア監督の作品でした。

マケドニアは2018年に北マケドニアと国名を変えましたが、ユーゴスラビアが解体し1991年にマケドニアとして独立した際には、旧ユーゴスラビア諸国の中で最貧国だったといいます。映画の冒頭では、依然として貧困が大きな社会問題であることが示されます。

sub2

加えて、マケドニアでも「30代女性の考え方が、両親世代の保守的な価値観と対立する」というような女性の生きづらさは、議論が足りていない(それがゆえに映画になる)トピックであることが明らかになっていきます。

sub5

ペトルーニャの振る舞いだけでなく、「ペトルーニャ騒動」の一件を熱意をもって取材し続ける女性記者からも、いわゆるウィメンズ・ライツ(Women’s Rights)が切迫した社会課題であることを感じ取れます。

sub8

北マケドニアは国民の約7割がキリスト教徒(のこり約3割は主にイスラム教徒)だそうですが、旧来から地域社会を束ねてきたマケドニア正教会の伝統的価値観は変容を迫られているはずです。本作の英題 “God Exists, Her Name is Petrunya”(神は存在する、彼女の名前はペトルーニャ)が示す通り「ペトルーニャという一個人にも(ひいてはどんな個人にも)神は宿っている」という、北マケドニアにおける「神」の現代的な解釈が、作品まるごとを以って表現されています。

main

知られざる北マケドニアの現在を見聞できる『ペトルーニャに祝福を』は、5月22日(土)より岩波ホールほか全国順次公開。そのほか詳細は公式ホームページをご確認ください。

古代マケドニアと南バルカンの自然

マケドニア、ギリシャ、ブルガリアの3ヶ国を巡り、各地で数々の歴史遺産を見学。かつてアジアまでの東方遠征を行い歴史に燦然とその名を残したマケドニア王・アレキサンダー大王を輩出したペラ(ギリシャ)や、その父王で強国マケドニアの礎を築いたフィリッポス2世の墳墓が発見されたヴェルギナなど、古代マケドニアに残る史跡を訪ねます。

春江水暖~しゅんこうすいだん

d2b69ed4f6bb638e

中国

春江水暖~しゅんこうすいだん

 

監督: グー・シャオガン
出演: チエン・ヨウファー、ワン・フォンジュエンほか
日本公開:2021年

2021.3.24

山水画で名高い景勝地・富陽―絵巻物のような中国若手監督の世界観

伝統的な景観の保全と再開発がしのぎを削るように並行して進む中国・杭州市 富陽地区。ある大家族が、年老いた母の誕生日を祝うため集まる。しかし、祝宴の最中に母は脳卒中で倒れてしまう。

サブ1

命は取り留めたものの認知症が進み、介護が必要になってしまった母。飲食店を営む長男。漁師の次男。ダウン症の息子を男手ひとつで育てる三男。気ままな独身生活を楽しむ四男・・・
それぞれの人生がゆるやかに交錯していく。

この映画のロケ地となっている富陽は、元代の著名な画家・黄公望(1269-1354)の水墨画『富春山居図』が描かれた地です。1988年生まれのグー・シャオガン監督は富陽で生まれ育ち、この地のリズムや風土を熟知していることが映像から見て取れる内容となっています。

メイン

しばしば使われる長回しショットの雰囲気もあいまって、舞台はまぎれもなく現代中国ではありながらも、絵巻物の世界に入り込んだような感覚を本作は味わせてくれます。カラー作品ではありますが、「水墨画のような」という喩え方が本作にふさわしいと思います。

サブ5

絵画には必ずキャンバスがあり、どこからどこまで描けるかが決まっていて、当たり前ではありますがキャンバスの枠外に何かを描くことはできません。

映画にも縦横比で形成された枠(フレーム)がありますが、その枠はカメラの移動によって変容したり、音編集などによって枠の外側の物事や空間をグッと引き寄せることができます。

サブ3

縦横比で形成された映画のフレーム内をパン生地のようなものとして考えると、映画のオリジナリティというのはその生地をどれだけ捏ねて、どういう形にして、どういう焼き方にするかというひとつひとつの選択の総体のようなものです。

『春江水暖』はかなり柔らかく、ふんわりとしていて、でも後味は烏龍茶のように力強く残る。烏龍茶蒸しパン、といった感じでしょうか・・・・・・
なにはともあれ、映画にはそのような固有のキャンバスの形があるのかもしれないと鑑賞中に考えました。

サブ4

旅で色々な場所を訪れて、キャンバス・額縁・額縁の外の空間にはハッとさせられたことが、私は何度もあります。フェルメールの絵画や『モナ・リザ』を観たときは、「こんなに小さかったのか」と驚きました。

モネの『睡蓮』やレンブラントの『夜警』のダイナミックさには、圧倒させられ体の動きが止まったのをよく覚えています(きっと絵の世界に連れて行かれたのだと思います)。

マドリッドのソフィア王妃芸術センターでダリの『窓辺の少女』を鑑賞したときは、不思議な遠近感を持つ絵そのものも印象的でしたが、額縁の外の壁の白さと、周囲の作品との余白のとり方が鮮烈に記憶に残っています。

サブ2

同じくソフィア王妃芸術センターでピカソの『ゲルニカ』をみていた時は、横にいた幼児が急に大泣きしはじめて、ピカソの意思が時空を飛び越えて額の外へ飛び出してきたかのような感覚を味わいました。

しかし不思議なことに、水墨画や山水画に関しては中国で鑑賞した瞬間の記憶が私にはあまりありません(たしかに鑑賞したはずなのですが・・・)。本作の中にも霧がかった景色や、ぼんやりとした景色が折にふれて映し出されますが、山水画というのは『ゲルニカ』とは全く違う形で、まるで昇華するようにキャンバスから展示空間に飛び出していき、鑑賞者の意識を連れ去っていこうとするのかもしれません。

オーソドックスな映画が四角いキャンバスにしっかり塗られた絵をじっと鑑賞するようなものだとしたら、本作は山水画のように、絵の中にこめられた意思がキャンバスから段々蒸発して昇華されていく様を目で追うようなテイストの作品だと思います。

サブ6

フレーム内の景観への没入感は、ぜひダイナミックなスクリーンで体感していただきたいところです。コロナ禍で海外に行くことが叶わない今、まさに本作は「海外に行った気持ちになる映画」といえるでしょう。

『春江水暖~しゅんこうすいだん』は2021年2月よりBunkamura ル・シネマほか全国公開中。そのほか詳細は公式ホームページをご確認ください。

 

ブータン 山の教室

bhutan_visual_N©2019 ALL RIGHTS RESERVED

ブータン

ブータン 山の教室

 

Lunana A Yak in the Classroom

監督: パオ・チョニン・ドルジ
出演: シェラップ・ドルジ、ウゲン・ノルブ・へンドゥップほか
日本公開:2021年

2021.3.3

ヒマラヤの村にあって 都会にないものは?―ブータン映画新境地

標高約2300m、ブータンの首都・ティンプー。若い教師ウゲンは、ブータン最北端の標高 約4800mにあるルナナ村の学校へ赴任するよう言い渡される。1週間以上かけて歩いてたどり着いた村には、教育を施すことができるウゲンの到着を心待ちにしている人々がいた・・・

サブ1

ブータンの映画が、映画祭だけではなく劇場公開映画として日本で観られるようになってから数年経ちますが、本作は「ブータン映画は珍しい」というフェーズの終わりを感じさせてくれるハイクオリティな一作でした。

主人公のウゲンは首都・ティンプーに暮らす今風の(髪がピチっとセットされていて音楽バーに通うような)青年で、心の底ではミュージシャンを目指したいという思いが強く、音楽を聞いていないときでもヘッドフォンを常に首にかけています。実際ブータンに私が訪れたときもこういう青年はたくさん見た記憶があるので、とてもリアルに感じました。

サブ6

夜はロウソクの光で暮らすルナナ村でデジタル音楽プレーヤーの電源は切れ、充電はままならず、ウゲンはヘッドフォンを置くようになります。これは地理的特性をいかした「新しい地への順応」の映像表現なのですが、こうした言わば模範的な表現を、ブータンクルーは難なくこなしています。

そこに、仏教国・ブータンだからこそのユニークな点だと思うのですが、映像表現上テクニックが要求される「無」「非」「不」の表現が巧みに織り込まれます。たとえば「机の上にコップがない」というショットを撮る場合、「机の上にコップがある(あった)」ことをまず示さないと「コップがない」ことは表現できないように、「無」「非」「不」の表現は技量が問われます。

サブ5

「道先案内人の青年・ミチェンにglobal warming(地球温暖化)という英語が通じない」というシーン(知識の不在)で、ミチェンは「その言葉はわからないけど、周囲にそびえる山の冠雪から変化は感じてるよ」というような返答をします。ブータン中部のフォブジカという村では、ヒマラヤから冬季に飛来するオグロヅルを気遣って電線を引かない決断をしたというエピソードは有名ですが、ブータンでは自然と人々の感覚が密接にリンクしているのだろうということが、ウゲンと村長のちょっとしたやりとり一つで表現されているのはとてもブータン映画らしいポイントだなと思いました。

サブ3

バスケットリング・黒板・トイレットペーパーなど「無いもの」も多く登場しますが、この描き方もまた絶妙で全く押し付けがましさがなく、独特な「ある/なし」の表現はブータン映画の新次元と言ってもよいでしょう。

サブ2

同じ映画監督としては、この表現から学ばなければいけないと思うとともに、いつかブータンクルーと映画を撮ってみたいなとも思いました。

私は西遊旅行勤務時にブータンツアーの手配・営業・添乗を担当していたこともあり、こまかな描写のなかにブータン人独特の感性を見つけて、なんだか懐かしくなりました。

サブ4

さらに特筆すべき点は、「幸福の国・ブータン」の矛盾を指摘している点です。ブータンを旅すると人々の無垢な笑顔や、日本人なら誰しもが懐かしさをおぼえる田園風景に癒やされます。しかし、教育を施せない貧困家庭が一定数いるのも現状で、ポスタービジュアルでも印象的な女の子・ペムザムの家庭は崩壊していると知ると、なんだか複雑な気持ちになります。

メイン

ピースフルでほっとするような雰囲気の中に、鋭い問題提起も含まれている『ブータン 山の教室』は4月3日(土)より岩波ホールほか、全国順次ロードショー。詳細は公式ホームページをご覧ください。

僕が跳びはねる理由

401d2470330abfbe(C)2020 The Reason I Jump Limited, Vulcan Productions, Inc., The British Film Institute

イギリス、アメリカ、インド、シエラレオネ

僕が跳びはねる理由

 

The Reason I Jump

監督:ジェリー・ロスウェル
日本公開:2021年

2021.2.24

自閉症者の目線で感じる、人生という旅路

イギリス、アメリカ、シエラレオネ、インドに暮らす5人の男女たち。彼らは自閉症者と呼ばれている。当人や家族の証言を通して、彼らの感じている世界は「普通」と言われる人たちとどのように異なるのかが明らかになっていく。原作は2005年に作家・東田直樹が13歳の時に執筆し、世界30カ国以上で出版されたエッセイ『自閉症の僕が跳びはねる理由』。

メイン_boy_中

4カ国それぞれのエピソードのなかで私が最もグッときたのは、イギリスのパートで「(自閉症の)息子が感じている世界を、10秒だけでもいいから体験してみたい」と、世間から自閉症者とみなされている息子を持つ父親が語る場面です。なかば憧れに近いトーンで、その一言は発されます。

sub_joss

グッときたというよりも合点がいったという感じかもしれません。私自身の作品の上映が行われたときに、お子さんがダウン症だという方から「いつかダウン症当事者とその家族の映画を撮ってください。あなたならその辛さではなくて、普通さ、幸せが撮れると思いました」と声がけしてもらったことがあります。その方の気持ちは、「いつか息子の世界を体験してみたい」というセリフのトーンにかなり近いのではないかと本作を鑑賞しながら思いました。両者に共通しているのは、世間から障害とみなされている子どもが「普通」とは違う世界の美しさを見出していると信じていることです。

sub_ema

「頭の中身は人によって全く違う」ということは、自分のつくった映画を人に観てもらう(いわゆる上映活動)をすると、とてもよくわかります。当然、知識としては映画制作者でなくても知れることではあるのですが、それを身にしみて実感できる機会が多いことは、映画制作者の特権だと思っています。

自分が当然伝わると思っていたシーンが、違うように解釈される(最初はその都度ドキッと、あるいはギクッとしていましたが、今ではその解釈の違いが楽しみです)。自分の描いたシーンが、他者の予想だにしない記憶を蘇らせる。そうした連鎖の中で「頭の中身は人によって全く違う」と確信していくのですが、実は西遊旅行での添乗業務と偶然の一致を感じていました。

添乗業務では同じツアーや同じ場所に何度も添乗するのですが、参加いただく方の興味・関心によって、行程が同じツアーでも全く別物に変身します。もう10年以上前のことなので書かせていただきますと、入社したての頃は「同じツアーだから今回はわりと気楽に行けるかも」という若干の慢心とともに添乗に臨み、ツアー序盤であまりの違いに慌てて緊張感を呼び戻したことがあります。

話を映画の感想に戻しますが、自閉症の人々というのは(もちろん医学的見地からみた症状や、当人が感じる不都合というのはあるのかと思いますが)、たとえるならば、旅をしているときの手段や着眼点が違うだけなのだと私は思います。この場合の「旅する」というのは、人生をすごすことです。

あるとき、なかなかの僻地を行くツアー添乗中に自然災害が起き、バス移動だったところを徒歩で移動することになり、途中で現地の軍用トラックに便乗させてもらうという経験をしたことがあります。トラックの上でふと我に返ったとき「大変だけどこれもまた旅なのだな」と思ったのを今でも覚えていて、ほかにもいろいろと本作を観ている間に旅の記憶が蘇りました。

自閉症と旅。一見するとまったく関連がないようですが、おそらく私の様々な旅の思い出が蘇ってきたのは偶然ではないと思います。

sub_jestina

sub_Amrit

sub_ben

『僕が跳びはねる理由』、4/2(金)より角川シネマ有楽町ほか全国順次ロードショー。詳細は公式サイトからご確認ください。

モルエラニの霧の中

fb6ac652e1534d22(C)室蘭映画製作応援団2020

北海道

モルエラニの霧の中

 

監督: 坪川拓史
出演:大杉蓮、大塚寧々ほか
日本公開:2021年

2021.2.3

「鉄のまち」室蘭―柔らかな記憶と7つの季節

いままで「旅と映画」では映画紹介の際に必ずあらすじから入っていましたが、今回ご紹介する邦画『モルエラニの霧の中』は特殊な作品のため、かわりに制作経緯をご紹介します。

moruerani_1.“~

本作全7編を制作した坪川拓史監督は、東日本大震災を機に東京から故郷・室蘭に家族で移住し、久しぶりに町を歩いてみたとき、記憶の中とは全く違う姿の室蘭に遭遇します。表向きは空き家が目立つさびれた町でしたが、昔の姿を知る坪川監督は、大事な点を見逃しませんでした。

moruerani_2.“~

よくよく町を回ってみると、輝きが保たれている場所や面白いストーリーの種にたくさん出会ったのです。そして、脚本の舞台にしていた理髪店が入っているビルが解体されるのをきっかけに、5年にわたる制作に乗り出しました。

‹ŒŠGèۏ¬ŠwZ

このような経緯もあり、映画本編は春夏秋冬と晩夏・晩秋・初冬と細かく章立てされた全7話構成となっており、実話や実在の場所をモチーフに、時にはモデルになった本人も出演しながら撮影がなされています。私的な記憶に関する映画でありながら、壮大なスケールを保っているのは、北海道の自然の力に依るところが大きいでしょう。

moruerani_4.t

私が北海道に一度訪れたときは9月の半ば(晩夏あるいは初秋)でしたが、新千歳空港に降り立ったとき、搭乗地の羽田のムワッとした残暑の空気とは全く違うカラッとした冷気に触れたのを今でもよく覚えています。海外旅行では訪れる国々の空港でその国の香りが感じられることがありますが、北海道は日本国内でありながら、空港で何かしらの違いが感じられる場所だと思います(私が最近撮影でよく訪れる奄美大島も同様です)。

moruerani_main

アイヌ語に由来する地名の響きも、北海道への旅が「遠くへ来た」と感じさせてくれる要素のひとつかと思いますが、室蘭という名前にもアイヌ語が関わっているのは本作で初めて知りました。題名に入っている「モルエラニ」が室蘭の地名の由来なのですが、どんな意味なのかはぜひ作品を観ながら想像してみてください。

moruerani_11.”ӏH

室蘭は鉄鋼業をはじめとした工業がさかんで「鉄の町」といういかにも固そうな通称が使われることもあるようですが、本作は色(カラー・モノクロ)やアスペクト比(画面の縦横比)を自由に行き来して、室蘭の風土の柔らかさのようなものが表現されているように感じました。

moruerani_6.‰Ä

7章の中で一番短い晩夏の章で朗読される、『名前のない小さな木』という、もの思いにふけっている崖っぷちの木に海鳥がとまる短い物語がとても印象的でした。

moruerani_8.”Ó‰Ä

記憶というのは一個人の頭の中(木の頭の中)にあるように思えますが、実は他者(海鳥)が何かしらの形で媒介して初めて存在し得るものなのではと度々思うことがあり、『名前のない小さな木』の話はそれを簡潔に言語化してくれていました。

moruerani_7.”Ó‰Ä

思うに、旅というのはこの映画のように様々な思考の色や枠を行き来して、「あ、いま鳥が自分の木にとまった」とか「ちょっと今日はこの木にとまってみようかな」とか思ったりするようなことなのかもしれませんね。

moruerani_9.H

最近亡くなった大杉漣さんや小松政夫さんの姿もおさめられている『モルエラニの霧の中』は2月6日(土)より岩波ホールほか、全国順次ロードショー。詳細は公式ホームページをご覧ください。

moruerani_3.t

moruerani_5.‰Ä

羊飼いと風船

66721017ef3833aa(C)2019 Factory Gate Films. All Rights Reserved.

チベット

羊飼いと風船

 

Balloon

監督:ペマ・ツェテン
出演:ソナム・ワンモ、ジンバ、ヤン・シクツォほか
日本公開:2021年

2021.1.6

中国・青海省に暮らすチベット系家族に、一人っ子政策が与えた影響

1990年代後期、中国・青海省。省都・西寧のはずれにある青海湖のそばで牧畜をしながら暮らすチベット系の家族がいる。祖父・若夫婦・3人の子どもたち―三世代の家族で昔ながらのつつましい生活をしていて、子どもたちは一人っ子政策施行後に無料で配布されるようになったコンドームを、用途を知らないまま風船のように膨らませてのんきに遊んでいる。

sub03

ある日若夫婦の妻が妊娠していることがわかる。子どもを産むことによる罰金や経済的負担を懸念して子どもを堕ろそうとする妻に対し、身内の生まれ変わりかもしれないと夫は反対して・・・

main

私が本作の監督 ペマ・ツェテンの世界観を知ったのは2013年に出版された『チベット文学の現在 ティメー・クンデンを探して』(勉誠出版)という短編小説集です。2011年まで西遊旅行に勤務していたときにはチベット文化圏のツアーを担当していて、文化・歴史の本は読み漁ってきたものの、文学には全くノータッチでした。この短編集におさめられた11のストーリーの世界観に初めて触れたときの感覚はとてもよく覚えていますが、チベット文化圏を訪れたときの、ある種の不可解さを納得させてくれるものでした。

sub08

心からカルマの倫理や輪廻転生を信じている人々にチベット文化圏で触れると、いわゆる現代社会の一般的な感覚では説明がつかない現象や行動に遭遇します。

sub05

たとえばブータンで、不注意か何かで崖っぷちに落ちてしまった(ドライバーは亡くなった)現場に居合わせたときには、人々が崖下のトラックを覗きこみ、救援を呼ぶでもなく、淡々としばらく念仏を唱えてそのまま去っていってしまいました。死や悲惨な現場を目の前にしている状況にしてはあまりにあっけらかんとしていて拍子抜けしましたが、「事故に遭ったのはなにかしら業によるものだし、死者はそのうち生まれ変わるとみんな思っている」とガイドさんから説明を聞いたのをよく覚えています。

sub07

『チベット文学の現在 ティメー・クンデンを探して』でもこうした円環的世界観は具現化されていますが、本作『羊飼いと風船』では、「暖炉 / ライター(原始 / 文明)」「羊 / 人間(畜生界 / 人間界)」など、シンボルや存在がマトリョーシカのように入れ子構造となり映像化されています。

最も重要なシンボルは、題名にもなっている「風船」とその赤い色です。劇中で空に舞っていく赤い風船は、何を象徴しているのか?

sub04

私には、近代化の荒波にもまれたチベット民族の精神、そして、先祖代々受け継がれてきた宗教的・経済的・ジェンダー的価値観が激変を強いられたという過去が凝縮されているように感じました。

sub02

監督の故郷である青海省の景観も魅力の『羊飼いと風船』は1月22日(金)よりシネスイッチ銀座ほか、全国順次ロードショー。詳細は公式ホームページをご覧ください。

img_midokoro_tibet (26)

青海湖

中国最大の塩水湖。 紺碧の水をたたえた湖は一周約360㎞、琵琶湖の六倍もの規模を誇り、ほとりに建つ遊牧民のテントが風情を添えています。湖畔には立派な宿泊施設が完備され、テント風の施設(張房式)や小さなホテルに泊まることができます。

ある女優の不在

3b3a5731d2386790(C)Jafar Panahi Film Production

イラン

ある女優の不在

 

3 Faces

監督: ジャファル・パナヒ
出演: ジャファル・パナヒ、ベーナーズ・ジャファリ、マルズィエ・レザイほか
日本公開:2019年

2020.12.2

名匠ジャファル・パナヒが添乗する、イラン北西部・村文化ツアー

イランの人気女優ベーナーズ・ジャファリのもとに、見知らぬ少女から動画メッセージが届く。その少女マルズィエは女優を目指して芸術大学に合格したが、家族の裏切りによって夢を砕かれ自殺を決意。動画は彼女が首にロープをかけ、カメラが地面に落下したところで途切れていた。ジャファリは、友人である映画監督ジャファル・パナヒが運転する車でマルズィエが住むイラン北西部の村を訪れる・・・

本作は文化人類学的ともいえるアプローチのストーリーです。筋書きは単純で、都会から来た映画人が人探しをする中で、田舎の慣習が織りなす世界に入り込んでいくというものです。

ロケ地はイラン北西部。イランの公用語であるペルシャ語はあまり通じず、トルコ語かアゼルバイジャン語のほうがよく通じるという山岳地域です。男性優位の様々な慣習がまだ残っており、女優志望の若者は変人扱いされ、役者は「芸人」と人々に揶揄されるような場所です。

車一台分しか通れない道でクラクションを鳴らしてコミュニケーションをとるシーンがあり、このシーンは西遊旅行のリピーターの皆様はおもわず「こういうこと よくある!」とニヤリとしてしまうのではないかと思います。フィクションとドキュメンタリーを巧みにミックスさせるのはイラン映画のお家芸のようなものですが、車のクラクションがモールス信号のように言語と化すというのは、おそらく実際どおりなのでしょう。

このように人々の中に息づいていて、つかもうとしても簡単につかめないものが真の伝統・歴史・文化なのだと、本作を観ると気付かされます。監督ジャファル・パナヒ自身が添乗する「映画ツアー」によって、観客は人里離れた村の時間・空間の中に、文化人類学者のように深く潜り込むことができるのです。

本作とよく似たアプローチの作品に、同じくイラン人監督のアッバス・キアロスタミ作『風が吹くまま』があるので、ぜひあわせてご覧ください。

GOGO(ゴゴ) 94歳の小学生

b66e1cdd36b0cd6b(C)Ladybirds Cinema

ケニア

GOGO(ゴゴ) 94歳の小学生

 

Gogo

監督:パスカル・プリッソン
出演:プリシラ・ステナイほか
日本公開:2020年

2020.11.25

千年杉のように気高く、優しく―94歳のケニア人小学生・ゴゴ

3人の子ども、22人の孫、52人のひ孫に恵まれ、ケニアの小さな村で助産師として暮らしてきたプリシラ・ステナイ。愛称はゴゴ(ケニア西部・カレンジン族の言葉で「おばあちゃん」の意)。

サブ4

幼少期に勉強を許されずに、教育の大切さを痛感していたゴゴは、学齢期を迎えたひ孫たちが学校に通っていないことに気づき、周囲を説得して6人のひ孫たちとともに小学校に入学する。

サブ3

他の小学生たちと同じように寄宿舎で寝起きし、ゴゴは制服を着て授業を受ける。耳はすっかり遠くなり、目の具合も悪い中での勉強一筋縄ではいかないが、助産師として自分が取り上げた教師やクラスメイトたちに応援されながらゴゴは勉強に励んでいく・・・

サブ8

旅先から持ち帰れるものといえば、お土産や思い出のほかに、出会いがあります。出会いというのは、旅をしたその場でのやりとりだけではなく、旅した地から離れたあとに「あのときあの場所で会ったあの人は 今なにをしているのだろうか」と思いを馳せる形で、数ヶ月・数年・数十年後にまで新鮮さが持続するものです。

サブ2

94歳で小学生として学ぶゴゴのような人に旅先で会ったとするならば、間違いなく折に触れてその面影を思い出すことでしょう。この映画を見ることで「今頃ゴゴはなにをしているのだろうか」と思うようになることは間違いありません。

サブ7

小学生に混じって瑞々しい日々を過ごすゴゴの微笑ましいシーンが続く本作には、ケニアにおける貧困・教育に対する問題提起も含まれています。

サブ6

ゴゴは英語や数学などの知識がなく、90代からそれを学び直すのはかなり無理があるという様が映し出されています。一転して、助産師としてのゴゴが映るシーンでは、彼女はエコーも使わずに胎児の性別を特定し、雄弁に妊婦に助言を伝えるという形で自分が会得した知識を惜しみなく共有しています。

サブ5

このコントラストを以って「貧困によって、学びの機会が失われることがあってはならない」と多くの観客は思うことでしょう。グサッと刺すような感じではなく、このようにしなやかなタッチの問題提起は、ゴゴが主役の本作だからこそ可能な表現だと思います。

メイン

『GOGO(ゴゴ) 94歳の小学生』、12/25(金)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー。詳細は公式サイトからご確認ください。