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青いカフタンの仕立て屋

(C) LES FILMS DU NOUVEAU MONDE – ALI N’ PRODUCTIONS – VELVET FILMS – SNOWGLOBE

モロッコ

青いカフタンの仕立て屋

 

THE BLUE CAFTAN

監督:マリヤム・トゥザニ
出演:ルブナ・アザバル、サーレフ・バクリ、アイユーブ・ミシウィ ほか
日本公開:2023年

2023.6.7

ペトロールブルーは熱い色―ベテラン仕立て屋夫婦の人生と、モロッコのジェンダー

モロッコ、海沿いの町、サレ。旧市街(メディナ)の路地裏で、25年連れ添った夫婦・ミナとハリムは小さな仕立て屋を営んでいる。

家業を継いだハリムは女性を美しく包むカフタン作りの伝統を守り続けてきた。夫の技術と人柄に惚れ込むミナは、完璧を求めるあまり作業が遅れがちなハリムを急かしつつ、完成を心待ちにする女性たちとのやりとりを楽しんでいた。

ある日、2人はユーセフと名乗る若い男を助手として雇い入れる。より紐作りも刺繍も慣れた手つきでこなし、古い手刺繍を愛でる審美眼もある。

ハリムはユーセフを気に入り、豪奢なカフタン制作に参加させることにした。しかし、その順調さにミナは嫉妬を抱く・・・

本コラムで以前ご紹介した『モロッコ、彼女たちの朝』の監督の最新作。前作ではマラケシュの町にあるパン屋さんを軸に、場所はほとんど動かないまま物語が展開されていました。本作についてもそのスタイルは踏襲されています(ちなみに主演の女優さんも続投しています)。

仕立て屋からほとんど動かずに、現代モロッコの伝統文化と近代化の相克、ジェンダー、LGBTQ当事者たちの葛藤が描れています。

物語が進むにしいたがって、ミナは乳がんで死期が近く、ハリムは同性愛者であることをひた隠しにしていることが明らかになってきます。

まったく作風は違うのですが、『アデル、ブルーは熱い色』という2013年のフランス映画(監督はチュニジア出身)を思い出しました。『アデル〜』はクローズアップ・手持ちカメラを多用してレズビアンの若者2人の出会いと別れを描いた作品なのに対し、本作は静かで滑らかなカメラワークを基調として中年夫婦を描いています。

両作がまず似ている点は、青という色がテーマなことです。本作ではただの青ではなくて「緑と青の中間」のような色であるブルー(ペトロールブルー)がシンボルカラーになっています。抑えつけられている感情や、ジェンダーマイノリティの立場など、作中の様々なエッセンスを象徴しているように思えました。

また、食事シーンが官能的であることも似ています。『アデル〜』は若さや恋心の表現を食事シーンが助長していましたが、本作ではミナが体調を崩した時、青の補色であるオレンジ色のタンジェリン(マンダリンオレンジ)をミナが口にしたり、タジンやルフィサなどの伝統食がストーリーにしっかり紐づいているなど、ただの「食事シーン」ではない綿密な計算された演出がなされていると感じました。

ちなみにロケ地のサレという町は、西遊旅行のツアーでも訪れる大西洋沿いの町・ラバトの近郊にある小さな町だということです。ラバトには行ったことがあるのですが、海辺のキレイなシーンが終盤にあり「この町にも行ってみたかった」と思いました。

未だ見ぬモロッコをみせてくれる『青いカフタンの仕立て屋』は6月16日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町・新宿武蔵野館ほか全国公開。その他詳細は公式HPをご確認ください。

サハラ砂漠と青の町シャウエン モロッコ周遊の旅

シャウエンやマラケシュでは旧市街の中、フェズでは全客室から世界遺産の旧市街ビューを、メルズーガでは砂漠を眺めるだけでなく、サハラの中で宿泊。観光だけでなく滞在にも趣向を凝らした西遊旅行ならではの旅をお楽しみください。

ぼくたちの哲学教室

(C)Soilsiú Films, Aisling Productions, Clin d’oeil films, Zadig Productions,MMXXI

北アイルランド

ぼくたちの哲学教室

 

監督:ナーサ・ニ・キアナン デクラン・マッグラ
出演:ケビン・マカリービーケビン・マカリービー、ホーリークロス男子小学校の生徒たち
日本公開:2023年

2023.4.19

北アイルランドの苦難が生んだ、子ども・大人関係なく「一緒に悩める」場

北アイルランド紛争によりプロテスタントとカトリックの対立が繰り返されてきたベルファストの街には、現在も「平和の壁」と呼ばれる分離壁が存在する。

労働者階級の住宅街に闘争の傷跡が残るアードイン地区のホーリークロス男子小学校では「哲学」が主要科目となっており、「どんな意見にも価値がある」と話すケビン・マカリービー校長の教えのもと、子どもたちは異なる立場の意見に耳を傾けながら自らの思考を整理し、言葉にしていく。

宗教的、政治的対立の記憶と分断が残るこの街で、哲学的思考と対話による問題解決を探るケビン校長の挑戦を追う。

本コラム「旅と映画」にはまだまだ取り上げていない国がたくさんありますが、今回は初の北アイルランド関連作品です。僕自身は学生時にイギリスで学んでいたとき「こんな機会でもなければ行かないだろう」と思いアイルランドまでは行ったのですが、アイリッシュ音楽の関連地を巡るだけにとどまりました。

厳密に言うと、頑張れば行けたのですが、当時は世界史・現代史を重点的に学んでいて「IRA」というイメージが強く北アイルランドにあったため、最後の一歩が出なかったのをよく覚えています。

その僕の感覚は、あながち間違いではなかったのだと本作を観て思いました。いわゆる「北アイルランド問題」は2020年代(ちょうどコロナ禍になる前後にロケがされ、一部コロナ対応の描写もあります)においても依然として問題・課題を市民や子どもたちに突きつけています。

宗教対立についてどう思うか等、かなり抽象的かつ難解な問いを小学生たちがわからないながらも語る姿はとても堂々としています。

自分たちの言葉でしっかりと語っていますし、主人公の一人と言える校長先生やベテランの先生が「問題行為」に対処をしている光景を間近でカメラにおさめていることから、撮影クルーの学校・被写体に対するコミュニケーションや、本作の撮影を受け入れている学校・保護者たち・子どもたちの寛容さを感じます。

「日本人の子どもたち・大人たちははこんな風に振る舞えるだろうか」という感想も多く出てきそうな本作ですが、校長先生のような「哲学的問い」を投げかける人物がコミュニティに誰かしらいれば、胸の奥に秘めている思いが発露され、皆が共進化していくのではないだろうかと感じました。そうした波及効果とでも呼ぶべき「思いの伝播」が本作にはとらえられています。

こども家庭庁も発足し、「子どもの意見表明・意見形成権」等をはじめとした「子どもの権利」に対する理解促進がおこなわれていくはずの2023年にぴったりな『ぼくたちの哲学教室』は5/27(土)よりユーロスペースほか全国順次公開。その他詳細は公式HPよりご確認ください。

アイルランド周遊

首都ダブリンから南北アイルランドをバスで周遊。雄大な景観と共に、人々の心に息づくケルト文化、今でも神聖な空気が漂う初期キリスト教会跡、中世の趣を今に伝える古城群にいたるまで南北アイルランドの自然、歴史、文化に深く迫る旅です。

落葉

ジョージア

落葉

 

監督:オタール・イオセリアーニ
出演:ラマーズ・ギオルゴビアーニ、マリナ・カルツィワーゼ
日本公開:1966年

2023.2.22

道端の落葉を愛でる感性を持つ人生と、持たない人生―文化醸成は茨の道―

ワイン醸造所の新人技師・ニコは真面目で職人たちからの信頼も厚いが、出世主義の同僚は職人たちを見下していた。ニコは研究室で働く女性・マリナに想いを寄せている。

ある日、醸造所の上司は共産党幹部が定めたノルマを達成するため、未成熟の樽の開封を決める。ニコはこれに異議を唱え抵抗するが・・・

あらすじを一見すると恋愛ドラマにも見えかねない本作は、「文化とは何か」という「メタ(高次)」なメッセージを含んだ、普遍性のある物語です。作り手が「メタ」な作品に仕立て上げようとしている証拠は、時折現れる極端なトラックアップ(カメラが被写体に近づく)の動きや、ヒロインのマリナがカメラに向かってウィンクする(フランスのニューウェーブ映画へのオマージュ)からも感じられます。

その他の前提として、以前にもこの「旅と映画」でご紹介しましたが、ジョージアの最も重要な伝統産業のひとつがワイン製造であるということがあります。サペラヴィというタンニンを多く含んだブドウ品種や、陶器のボトルが特徴的です。

そしてもう一点お伝えしておきたいのは、醸造の世界史を振り返ると、「産業の圧力」に製造側が屈してしまった場合、産業自体が廃れてしまうという現象が起こったことがあるということです。たとえば、リンゴ発泡酒(英語:サイダー/仏語:シードル)の歴史を振り返ると、ローマ帝国時代からサイダーの伝統があって「水代わり」にサイダーが飲まれていたような地域もあるほど文化が根付いていたイギリスであっても、産業革命で生産・出荷を優先したばかりに悪質なサイダーが出回ったり、金属パイプが要因の中毒症状によって評判が下がり、一気に伝統が廃れてビールに取って代わられるという出来事がありました(ちなみになぜこんなに詳しいかというと、今サイダーのドキュメンタリー映画を企画開発しているからです)

本記事はまだ作品をご覧になっていない方を主な対象にしているので、物語の結末の詳述は避けますが、「本作のタイトルがなぜ『落葉』なのか」という点は、ぜひご覧いただいた後に考えていただくと楽しいと思います。

僕が思うヒントを、お伝えしておきます。
まず一つは「落ちている葉っぱの叙情にあなたは目が留まるか、そして目を留めた時にちゃんと立ち止まれるか」という作家の問いかけがタイトルにはこめられている思います。

もう一つのキーワードは「循環」です。「よい文化醸成には、気づきの循環が必要だ」ということは、戦後にスターリン独裁以来揺れに揺れてきた当時の旧ソ連体制下の国家に住む作家として、声を大にして言いたかったことなのだと想像しました。

ストーリー本筋の外側に巧みに、ワインの味わいのような深みあるメッセージを形作っている『落葉』を含む「オタール・イオセリアーニ映画祭〜ジョージア、そしてパリ〜」は2/17(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開。その他詳細は公式HPよりご確認ください。

花のジョージアを歩く
秀峰カズベキの麓からヨーロッパ最後の秘境スヴァネティ地方へ

ヨーロッパで最も標高の高い常住村として知られるウシュグリ村(2,200m)と世界遺産の上スヴァネティ地方、北部ジョージア屈指の美しい山岳景観を誇るカズベキ村を訪れるこだわりのハイキング企画。独自の文化、伝統の生活を続ける人々、静かなトレイルはまさにヨーロッパ最後の秘境の名にふさわしい場所です。

そして光ありき

セネガル

そして光ありき

 

監督:オタール・イオセリアーニ
出演:ディオラ族の人々
日本公開:2023年

2023.2.15

セネガル・ディオラ族の村に、透明のカメラを置いたような映画

セネガルの森に住むディオラ族は、男たちが川で洗濯をし、女たち(基本的に上裸)は弓矢で鹿を狩って暮らしている。

祈祷師、狩人など様々な人々の生業や何気ない日常の光景。そしてディオラ族の暮らしを今まさに侵食しようとしている、森林伐採の様子。それら両方をカメラは静かに見つめる・・・

本作はジョージアの映画監督オタール・イオセリアーニ監督特集の目玉作品の一つで、1989年製作ながらも日本初公開となります。それだけではなく、ロケ地がセネガルということで、色々な意味で稀少な鑑賞機会の作品です(今まで「旅と映画」でご紹介したセネガル関連の映画といえば女性器切除の慣習を描いた『母たちの村』のみです)。

西遊旅行のツアーの行き先というのは、「現地の人が話している言語がわからない」という場合がほとんどではないかと思います。もちろん、アジア諸語・ヨーロッパ諸語が通じる場所というのはありますし、セネガル旅行の場合は多少フランス語が通じる場面もあるかと思うのですが、「民族」と呼ばれる人たちと話すときには通訳が必要です。

本作はマシンガントーク以上のスピードでディオラ族のディオラ語(?)が展開していくのですが、ほとんど字幕が付いていません。日本語字幕が付いていないのではなく、元々監督の意向でごく一部しか字幕が付いていない(時々サイレント映画のような形で黒画面に会話が出てきます)のです。「バナナ食べる?」という言葉に字幕が付くのですが、正直なところ「バナナ」も聞こえませんでした。

でも、それが楽しいと思いましたし、「西遊旅行っぽい映画だ」と思いました。通常であれば「流れ」を追いかけてしまう会話は、本作ではザワザワガヤガヤという「音」として感じます。日本人の観客の99.9%は、彼らの表情、動き、声の抑揚、景観なども含んだ「画」から、人々の思いや慣習・儀礼の意味などを探らざるを得ないでしょう。しかし多くの観客は、音や画の「全体感」の中に浸り、村の土の上に足が着いているような感覚になるはずです。

「ワニの背中に乗って移動」などの暮らしの業(わざ)、ダンスや音楽コミュニケーションなどの躍動感、夕日を村人皆で眺めるという美しい慣習、「え!?」と思わず声をあげてしまう怪しげな祭祀、息を吹くと強風が起きるなどのマジカルな出来事と、言葉がわからなくても飽きない仕掛けも満載です。

それにしても、映画制作者としては
・一体どんな企画書を書いたのか
・どんな人が出資したのか
・村人にはどうやって交渉したのか
・なんで村人の演技はあんなにナチュラルなのか
・ワニに乗るなど、タイミング命なシーン(全部成功)なシーンが多すぎる
・村人の前で、木をあんなに切ってしまって大丈夫だったのか
など、気になる点が多すぎる作品でした。今回公開されて本当に良かったと思いますし、イチオシの作品です。

『そして光ありき』を含む「オタール・イオセリアーニ映画祭〜ジョージア、そしてパリ〜」は2/17(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開。その他詳細は公式HPよりご確認ください。

セネガルからガンビアへ

セネガルから陸路で国境を越え、隣国ガンビアへ。アラブ文化、奴隷貿易の歴史、ガンビア川沿いの漁村などこの地域ならではの文化にふれます。また、ガンビア川沿いの村に滞在し、美しく豊かな自然のもとで暮らす素朴な村の風景を見つめます。。

ユンヒへ

(C)2019 FILM RUN and LITTLE BIG PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.

韓国・日本(北海道)

ユンヒへ

監督:イム・デヒョン
出演:キム・ヒエ、中村優子ほか
日本公開年:2022年

2023.2.1

「あり得ないこと」はどういう時に起こるのか?―雪の小樽と結晶のような思い出

韓国の地方都市で高校生の娘と暮らすシングルマザーのユンヒの元に、小樽で暮らす友人ジュンから1通の手紙が届く。20年以上も連絡を絶っていたユンヒとジュンには、互いの家族にも明かしていない秘密があった。

手紙を盗み見てしまったユンヒの娘セボムは、そこに自分の知らない母の姿を見つけ、ジュンに会うことを決意。ユンヒはセボムに強引に誘われ、小樽へと旅立つ。

「近頃寒いので寒い映画を」と思ったときに、昨年劇場公開された本作のことがパッと思い浮かびました(「寒いから暑い国の映画を観よう」「寒いから夏の映画を観よう」というパターンもあるかと思いますので、かなり気まぐれです)。

本作は制作の経緯が面白いのでご紹介できればと思います。僕と同じく1986年生まれの男性の監督が、中年女性が主人公の脚本を書き進めていたところ、岩井俊二監督の『Love Letter』(1995年)の「聖地巡礼」の旅に友人から誘われます。そして小樽を訪れて、化学反応的に「ここで撮ろう!」と決めたのだといいます。

『Love Letter』公開時、監督は9歳かそこらだったかと思いますので、世代的には若干ストライク・ゾーンからずれていて、小樽という地を知るのに時間がかかったのが逆に功を奏したパターンではないかと思います。

冬の小樽という場所の性質も絡めて本作のエッセンスを一言でまとめるならば「映っている場所はいかにも寒そうだけれども、暖かい話」です。主人公・ユンヒは心の奥底に「ある思い」を長らく封じ込めながら生きてきた人物で、いつしかそれをギュッと抑え込んでいる手を離しても、カチコチに凍りついて動かない状態になり、「ある思い」が有る、ということも忘れてしまっていました。

「ある日手紙が来て・・・」というのは、一聴するとその重い「封印」を解くにはあまりにもベタであるように思えるかもしれません。しかし、やはり実際そういうことは起こり得るのだと、本作を観て思いました。僕の人生も、手紙パターンはないのですが、「ある日一通メールが来て・・・」という形で何度も揺り動かされてきました。

あり得ないくらい寒い中で、あり得ないくらい長い時間熟成された思いが、あり得ないような出会いの中で融解していく様というのは、とてもロマンチックでありながらリアリスティックでもあると思います。

寒い内に今すぐご覧になっても、暑い季節に熱い思いに触れる形でご覧になっても楽しめる作品です。

夏の北海道
色彩あふれる絶景アクティビティを楽しむ

富良野の大自然でのモーターパラグライダー、洞爺湖を見下ろす高台で乗馬、支笏湖でのカヌー体験。ニセコ積丹小樽海岸国定公園に位置する小樽の青の洞窟では、長い年月をかけて波風などで浸食を受けた大自然を海上より楽しむことができます。

冬の北海道
白銀の世界でアクティビティを楽しむ

富良野ではモーターパラグライダーで白銀の雪原を空から望み、美瑛では十勝連峰を、またニセコでは羊蹄山を望みながらのスノーシュー体験へご案内。その他、白銀世界での乗馬体験や雪に包まれた森の中で行うジップライン体験など、冬の北海道の自然を各所のアクティビティを楽しみながら体感していただけます。小樽での夜は、ライトアップされた小樽運河の散策をお楽しみください。

コンパートメントNo.6

© 2021 – AAMU FILM COMPANY, ACHTUNG PANDA!, AMRION PRODUCTION, CTB FILM PRODUCTION

ロシア・フィンランド

コンパートメントNo.6

 

Hytti Nro 6

監督:ユホ・クオスマネン
出演:セイディ・ハーラ、ユーリー・ボリソフほか
日本公開:2023年

2023.1.25

目的地への道中、目的地にいるとき、思い出 どれが一番「旅らしい」時間か?

1990年代のモスクワ。フィンランドからの留学生ラウラは恋人と一緒に世界最北端駅ムルマンスクのペトログリフ(岩面彫刻)を見に行く予定だったが、恋人に突然断られ1人で出発することに。

© 2021 – Sami_Kuokkanen, AAMU FILM COMPANY (以降写真同様)

寝台列車の6号客室に乗り合わせたのはロシア人の炭鉱労働者リョーハで、ラウラは彼の粗野な言動や失礼な態度にうんざりする。

しかし長い旅を続ける中で、2人は互いの不器用な優しさや魅力に気づき始める・・・

読者の皆さんは、海外の寝台列車に乗った経験はあるでしょうか? 僕はもともと電車が好きということもありますし、西遊旅行の添乗業務もありましたので、そこそこ乗車経験があるほうかもしれません。

思い出せる限りで、上海〜ウルムチ間(往路はちょっとずつ、復路は一気に約2日半)、西寧〜ラサ間、インド各地(バラナシ〜アグラや西インド等)、ギリシャのテサロニケからトルコのイスタンブール、ルーマニアのブラショヴ〜ハンガリーのブダペスト間(のはずがハンガリーのストライキで国境で降ろされる)、ブダペスト〜ポーランドのクラクフ間などです。

僕も本作の登場人物たちと同じように、通じているかどうか定かではないけれども同乗者と会話したり、互いの言葉を教えあったりしました。そういった一切合切の時間は、記憶の中にコンパートメントのようなものがあるとするならば、旅した区画ごとの「記憶コンパートメント」が連なった列車みたいなものが脳内に存在するように思えます。

90年代という時代設定の本作で、主人公はビデオテープが記録媒体のカメラを構えています。撮影している映像の宛て先には、自分も含まれているのでしょう。本作を見終わった後、自分が以前住んでいた住居を久しぶりに訪ねて、もう入れない場所を外から眺めているような心地になりました。

話が変わるようですが、先日偶然なタイミングで「セルフィー」という言葉の語源をしらべたときに、SNSに写真をアップすることが前提となった定義の言葉であることを知りました。つまり、本作で描かれている時代を含む「セルフィー」登場以前は、自分の写真や映像を撮っても、他者にそれが渡る機会が比較的少なかったということです。

そうした時代背景のもとストーリが進んでいくため、主人公がかつて過ごした時間への「戻れなさ」をいつか振り返るのだろうということ(フレーム外・作品で描かれるストーリー以降の時間)が、特に中盤以降から顕著に感じられるようになります。

鉄道で行ける最北端の地への旅気分が味わえる『コンパートメントNo.6』は、2023年2月10日(金)、新宿シネマカリテほか全国順次公開。その他詳細は公式ホームページをご確認ください。

LAMB ラム

(C)2021 GO TO SHEEP, BLACK SPARK FILM &TV, MADANTS, FILM I VAST, CHIMNEY, RABBIT HOLE ALICJA GRAWON-JAKSIK, HELGI JOHANNSSON

アイスランド

LAMB ラム

 

監督:バルディミール・ヨハンソン
出演:ノオミ・ラパス、ヒナミル・スナイル・グブズナソンイほか
日本公開:2022年

2023.1.18

羊人間を育てる羊飼いと人間生活の本質―アイスランド発の哲学的スリラー

アイスランドの山間に住む羊飼いの夫婦イングヴァルとマリアは、羊の出産に立ち会う。すると、羊ではない「何か」が産まれてきた。

子どもを亡くしていた2人は、その「何か」に「アダ」と名付け育てることにする。アダとの幸せな生活の奥底で、2人の運命は大きくうごめいていく。

前回は「遠い」国としてマリの『禁じられた歌声』をご紹介しましたが、アイスランドも色々な意味で遠い国です(ちなみに「日本から遠い国」で検索したところ一番距離的に遠いのはウルグアイとのことでした)。遠いですし、氷河・オーロラ・間欠泉・動物など、様々な環境の違いがあり、常識の尺度も違います。たとえば、本作の大半は真夜中になっても日が沈まない白夜の設定で展開されますが、さほど説明無く物語が進むので白夜だと気付いた瞬間にハッとします。

本作はホラーとしてカテゴライズされることもありますが、僕の解釈では、人間の深淵を描いている(がゆえに若干怖い)作品で、哲学的スリラーと表現することもできるかと思います。なので「ホラーはちょっと・・・」という方も、ぜひ避けずにご覧になってみてください。

「秘境」と呼ばれる中でもその度合が高い場所に行くと、自分がそこにいるという事実自体に、不思議を抱くことがあるのではないかと思います。僕は、添乗中ではあるものの、度々その感覚に浸ったことがあります。

羊を無意識・潜在意識の象徴として小説の初期作に登場させたのは村上春樹ですが、『ノルウェイの森』の終盤で、色々なドラマを経た主人公が「どこにいるの?」と問われて「僕は今どこにいるのだ?」となる感じとでもいいましょうか。

『LAMB ラム』を観ていると「どういうことなんだこれは??」というシーンが続きます。主人公の女性の名前がマリアであったり羊飼いという職業が暗示する通り、キリスト教の比喩も多く含まれています。

夜が長い冬にも、白夜までは日本はもちろんいきませんが日照時間が長い夏にも楽しめる秀作『LAMB ラム』は、鑑賞中から鑑賞後にいたるまで「揺さぶられる感覚」がとても楽しく秘境旅行的でオススメの一作です。

アイスランド大周遊

レイキャヴィークから専用バスでアイスランドを周遊。アイスランド南部では、グトルフォスの滝や間欠泉ゲイシール・ストロックルなどの見どころに加え、氷河から崩れ落ちた氷塊が浮かぶヨークルサルロン氷河湖のクルーズや、氷河が迫りくるフィヤトルスアゥロン氷河湖へご案内します。ツアーでは、アイスランド北部の観光も充実しており、約2300年前の大噴火によってできたミーヴァトン湖周辺を観光。溶岩でできた奇岩が集中するディムボルギル、神々の滝と称されるゴザフォスの滝、デティフォスの滝などのみどころをしっかりと見学します。

禁じられた歌声

(C)2014 Les Films du Worso (C)Dune Vision

マリ

禁じられた歌声

 

Timbkutu

監督:アブデラマン・シサコ
出演:イブラヒム・アメド・アカ・ピノ、トゥルゥ・キキほか
日本公開:2015年

2023.1.4

マリ共和国・トンブクトゥで、2012年何があったのか?―「遠く」に思いを馳せる

ティンブクトゥ近郊の街で暮らす音楽好きの男性キダーンは、妻・サティマ、娘・トーヤ、12歳の羊飼い・イッサンと共に幸せな毎日を送っていた。ところがある日、イスラム過激派が街を占拠し、住人たちは音楽もタバコもサッカーも禁じられてしまう。

住人の中にはささやかな抵抗をする者もいたが、キダーン一家は混乱を避けてトンブクトゥに避難する。しかし、ある漁師がキダーンの牛を殺したのをきっかけに、彼らの運命は思いがけない方向へと転がっていく。

あけましておめでとうございます。2023年は「遠く」に気兼ねなく行ける年になりそうだと予感しています。実際僕自身も、この3年パッタリ流れがなくなっていた海外出張の波が、昨秋の釜山・今月のシンガポールときています。僕は今福岡に住んでいますが、海外から来た旅行客の方を見かけることも日々増えてきました。

「遠く」というと思い浮かべるのが、僕にとってはマリ共和国なので、今回はマリを舞台にしたフランス・モーリタニア合作の本作をご紹介できればと思います。

詳しく文化や歴史を知っているわけではないのですが、西遊旅行での勤務経験や写真・ドキュメンタリーで得た知識から、マリ(特にトンブクトゥ)にはぜひいつか訪れたいと思い続けています。マリのティナリウェンというトアレグ族のバンドが好きなこともあるかと思います。僕が西遊旅行に勤務していた2011年時点ではマリのツアーは催行されていましたが、2012年のマリ北部紛争が勃発したのを契機に、段々とマリは訪れにくい、色々な意味で「遠い」国になっていったように思えます。

本作は2012年にマリ北部・アゲルホクで実際に起きた、イスラム過激派による若い事実婚カップルへの投石公開処刑事件に触発されて、2014年に制作された映画です。イスラームの戒律やイスラーム法が、現代社会の慣習や土着文化と衝突するというのが本作のあらすじで、そう言っていいのかわかりませんが、映画のストーリーテリングでは(特にイスラーム圏の映画では)「よくある」設定です。

本作が単に「よくある映画」にとどまっていなく、フランスでは100万人を動員したのは、特異なドキュメント性があるためです。フィクションの物語ではあるのですが(特に多少なりともマリの情勢に関する知識があるならば)、一体どうやって撮影が成立したのだろうと思うようなシーンの連続です。

言語・風貌的に明らかに「地元」の人々によって、明らかにセットではない「現地」で、明らかにごく最近あったけれども「遠く」の手が届かない彼方にあるかのような出来事が、演技によって再現されていきます。特に、フランス映画的なユーモアが散りばめられた、軽やかな笑いに満ちたシーンが冒頭にあるのはなんとも皮肉です。

2023年は「遠く」にいけるようになると共に、隔たり・衝突といった「遠さ」が少しでも緩和・解決されていくように願いながら本作をご覧いただければ、決して明るくはない本作を楽しみながらご覧いただけると思います。2023年もワールド映画の情報をコツコツお届けできればと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

「黄金の都」トンブクトゥ

砂漠の民の宿営地として誕生し、やがてマリ帝国の時代には「黄金の都」と呼ばれるまでに繁栄したトンブクトゥ。サハラ砂漠の西部で採掘された岩塩は、何十日もかけてトンブクトゥに運び込まれ、ニジェール川を遡りセネガルで金と交換されました。そしてその金はキャラバンによってトンブクトゥへ運ばれたのです。 18世紀、ヨーロッパの探検隊はこの「黄金の都」を目指して旅に出ました。 現在のトンブクトゥは、砂漠の侵食によって街は急速に衰退し、現在も街は砂に埋もれつつあります。日干し煉瓦の住居や独特の形をした泥のモスクに、多くの探検家が探し求めた幻の黄金都市の栄華の跡を訪ねることができます。また、ラクダに乗ってトンブクトゥ郊外の遊牧民トアレグ族の村も訪問し、厳しいサハラの環境に暮らす砂漠の民の生活を垣間見ることもできます。

コペンハーゲンに山を

(C)2020 Good Company Pictures

デンマーク

コペンハーゲンに山を

 

Making a mountain

監督:ライケ・セリン・フォクダル、キャスパー・アストラップ・シュローダー
出演:ビャルケ・インゲルスほか
日本公開:2023年

2022.12.28

北欧の世界観から生まれた、ゴミ焼却場×スキーというイノベーション

2011年、デンマークの首都コペンハーゲンにあるゴミ処理施設建て替えのコンペ結果発表会が行われた。満場一致で選ばれたのは、同国のスター建築家ビャルケ・インゲルス率いるBIG(ビャルケ・インゲルス・グループ)建築事務所。

彼らのアイデアは、ゴミ焼却発電所の屋根に人工の山を作ってスキー場を設置し、街の新たなランドマークにするという奇想天外なものだった。

しかし完成までの道のりは苦難の連続で、予算問題をはじめ課題や疑問が次々と積み重なっていく。そして2019年10月、コペンハーゲンに標高85メートルの新しい山「コペンヒル」が誕生。

年間3万世帯分の電力と7万2000世帯分の暖房用温水を供給する最新鋭のゴミ焼却発電所でありながら、屋上にはスキー場のほかレストランなども併設する夢のような施設に生まれ変わった。

西遊旅行ではグリーンランドのツアーの最初にデンマークの首都コペンハーゲンに宿泊するので、コペンヒルをおそらく見られる機会もあるのではないかと思います(調べたところ空港から車で10分ほどようです)。

グリーンランド(デンマーク領)とデンマークの国土は北海・フェロー諸島・アイスランドなども飛び越していかなければいけないので相当な距離がありますが、デンマークという国がそのような地理条件にあるということは、コペンヒルという建築に大きく影響しているように思えます。

ビャルケ・インゲルスは本作の冒頭で、「土地が平坦であること」はどういうことかについて語ります。有機的な建築は単体として箱のようにボンッと置かれるわけではなく、外部環境をいくらか吸収・咀嚼し呼吸もする存在であることが理想的です。そして、その周辺世界のランドスケープ(景観)の見え方を変えてくれることを意図すると同時に、建築自体が発信主体となってランドスケープやその土地に住む人々に対して逆に影響を与えることも期待されています。

コペンヒルはまさにそのように、ランドスケープや人々の心と建築との間に相互交流が起こる有機性を持ち合わせているということが、約10年にわたる映像アーカイブとインタビューによって明らかになっていきます。

特に僕が気付いて面白かったのは、映画の中ではあまり詳細に説明がないのですが、ゴミが焼却炉にすべり落ちていく様子と、人がスキーで斜面を滑る様子が相似した形で表現されていたことです。それは、人間がゴミのような存在だという意味ではなく、観光客・来訪者にスキーを滑りながら(観客は滑った気持ちになりながら)環境問題に関する価値転換を図ってほしいという思いがこもっているということです。

おそらく十中八九「スキーヤー」たちは、「自分たちはゴミ焼却場の上を滑っている」という不思議な気持ちを抱いて斜面を下っていきます。その過程で、仮に自分の心が平坦めな大地だったとしたら、ボコボコっと山ができていく。その山に登ってみて景色を眺めてハッとするひとときというのが、価値転換の瞬間ということなのだと思います。

老朽化した巨大ゴミ処理施設が観光名所へと生まれ変わるまでを追った『コペンハーゲンに山を』は、1月14日(土)よりシアター・イメージフォーラム他全国順次ロードショー、その他詳細は公式ホームページをご確認ください。

風の波紋

日本(越後妻有里)

風の波紋

監督:小林茂
出演:越後妻有の人々
日本公開:2016年

2022.12.21

雪、雪、緑、そして雪―新潟・越後妻有の生活サイクルが都市生活に示唆するもの

新潟県の豪雪地帯・越後妻有の里山に東京から15年前に移住した木暮さんは、茅葺屋根の古民家を自らの手で修繕し見よう見まねで米を作って暮らしてきた。ヤギの角が生えてこないように電気ゴテで除角する光景にも、いまだに葛藤をおぼえる。

特に冬の豪雪の間厳しい自然に悩まされながらも、個性豊かな仲間たちが木暮さん・家・集落を支えながら共に生きていく光景が映し出される。

先日福岡市で初雪が降りましたが、雪が降るとこの映画のことを思い出します。新潟の越後妻有の集落のことを、心のなかに思い描くということです。たまたま11月には新潟市に行く機会もあったのですが、新幹線に乗っているとき、魚沼を過ぎたあたりから「この辺りが越後妻有か」と西の方角を見やりました。

映画の中では、移住者の木暮さんが近隣の人々・有識者の知恵や力を得ながら、家の柱・床・茅葺屋根を一生懸命メンテナンス・リノベーションしていく過程が描かれます。それと同時に、非常に残酷ではありますが、クレーン車によって伝統家屋が壊されていく様も描かれます。家屋がなくなるということは、集落に息づく伝統文化が危機にさらされるということに等しいです。

僕は制作者として、その作業を撮影するとき業社さんに何と言って交渉しているのかを思わず想像していました。おそらくこう言ったのではないかと思います。「数百年の歴史を持つこの伝統家屋を壊す作業をしているあなたは悪くない。あなたを責めるためにこの映像を撮るのではないし、そもそも良い悪いを映し出そうとしているのではない。暮らしを紡ぎ永らえようとしている人の傍らで、こういうことが起きているのだと、そのままの姿を映したい。この地の現状を伝えるだけでなく、日本の都会でも、世界各地の都市・地方でも同じような“厳しさ”が存在しているのだと伝えたい。それは、限りある時間・空間・資源の中で、人間は何を残し、何を未来に向けて選び取っていくのかということだ」と。

越後妻有とネットで検索をすると、どんな場所なのかということよりも先に2000年から3年に一度開催されている「大地の芸術祭」の情報が出てきます。芸術祭開催期間に限らず、野外彫刻や、旧小学校での食事・宿泊を体験できるプログラムがあります。芸術というのは、そのような“厳しさ”を抽象化して、より間口を広くする手段であると思います。実際、映画の中でも印象的なシーンに活用されている廃校では、絵本作家さんが地域の人々と連携して「カラッポになった校舎を舞台に、最後の在校生と学校に住みつくオバケたちとの物語」が作り出されたそうです。

本作を観てから、あるいは越後妻有を旅してから本作を観ると、より広く深く作中で描かれている場所のことが理解でき、僕のように「雪が降ると越後妻有を思い出す」と心の中に「場」が宿るようになるかもしれません。

大地の芸術祭の里・越後妻有とみちのく現代アートの旅

ゆっくりと美術館の鑑賞をお楽しみいただくため、8名様限定コース。加賀百万⽯の城下町・⾦沢から⼤地の芸術祭の⾥・越後妻有、秋⽥、⻘森と新幹線と特急列⾞、専⽤⾞を利⽤して6⽇間で効率よく回ります。新潟県南部の越後妻有は現代アートの作品が多く残る芸術の⾥としてだけではなく、川や⼭などの豊かな⾃然に恵まれ、「清津峡」「美⼈林」「棚⽥」など美しい景⾊を鑑賞する訪問地にもご案内します。

越後妻有

新潟県の越後妻有地域は、縄⽂期からの豪雪という厳しい条件のなかで⽶づくりをしてきた⼟地で、農業を通して⼤地とかかわってきた⾥⼭の暮らしが今も豊かに残っています。この地域では2000年から3年に1度芸術祭が開催され、世界中から注⽬を集めています。芸術祭開催期間だけでなく、1年を通して⾃然を⼤きく活⽤した野外彫刻作品や、廃校や空家、トンネルを丸ごと活⽤した作品など、地域を切り拓いて⽣まれた作品が約200点常設展⽰され鑑賞することができます。